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前・明石市長 泉房穂さんに聞く 文化やエンタメの役割と、政治・生活のかかわり方とは

泉房穂さんは、元・明石市長。2011年から2023年まで、兵庫県明石市の市長を務め、さまざまな市政の改革を実施。
退任後の現在は、様々な書籍の出版やイベント出演などに精力的に取り組みながら、明石市をはじめとする市民の生活向上のため、引き続き尽力している。

もともと、明石市長を志した理由の一つに、「冷たい明石を改革する」という強い意思があったという泉さん。障がい者の弟が、当時は政治や市から見放されてしまっていたことを受けて、「なんとかしたい」と一念発起し、明石市長を目指したという。
そんな泉さんに、キネプレがインタビューを実施。普段は語ることの少ない、泉さんが考えるエンターテインメントや文化の役割について、お話を伺った。



音楽や演劇、映画、そして企画が好きだった

――まず、泉さんとエンターテイメントにかかわるご経歴を教えてください。

大学を出た後、政治家になるまでに、テレビ局で勤めていたんです。最初はNHK、次にテレビ朝日。もともと映画や映像、音楽、演劇にもすごく興味があって。
学生の時は、バンドを組んでボーカルをやっていたんですが、歌よりMCの方がうまかったんです(笑)。あと高校は、当時は文化祭がなかったので、生徒会長になって掲げた公約に「文化祭をつくりたい」を掲げたり。
大学では、東大の駒場寮にいたんですけど、寮で学園祭を立ち上げました。他にも100人対100人の大規模な合同コンパや、加藤登紀子さんのコンサートも勢いでやったし。政党を呼んで討論大会をやって新聞や週刊誌に取材してもらったり、というのも企画して。
ほんとに企画屋さんでしたね。ゼロからイチを生み出すことが楽しかったんですよ。

あとは演劇や映画もよく見に行ってましたね。寺山修司にハマったり、駒場寮に付随している小さな劇場の支配人みたいなこともやったし。「黒テント」っていう劇団(注:寺山修司さんの「天井桟敷」、唐十郎さんの「状況劇場」とともに当時のアングラ演劇ブームをけん引した劇団)に入りたいと真剣に思ったときもありました(笑)。映画館のオールナイト上映にもよく行きました。ミニシアターも好きやったなあ。ATG(日本アート・シアター・ギルド)とかもよく観ましたよ。

――そんな中でも、心に残っている映画作品はありますか?

アニメーションの『太陽の王子 ホルスの大冒険』という映画ですね。
(東映動画が制作し1968年に公開された作品。悪魔グルンワルドの脅威が広がる北の世界で、太陽の剣を託された勇敢な少年ホルスが悪魔に立ち向かう姿を描く)
小学校の時に体育館で観ました。観たときはもちろん知らなかったんですが、スタジオジブリの高畑勲さん・宮崎駿さんが組んだ作品。
クライマックスがすごく好きなんです。弱い民衆たちが集まって、その力で悪魔を倒す。それがとても鮮烈に脳裏に残ってました。有名人でなく庶民たちが頑張る、という物語に心打たれたんです、
そのあと『風の谷のナウシカ』を観て、これも好きになりました。そうしたら、『ホルス』の作画を担当した宮崎駿さんの監督、ということを知ってびっくり。
中でも一番好きなシーンは、巨神兵のところですね。作中で完全無敵と言われた巨神兵が、もろくも崩れてしまう。完璧な強者が滅んで、弱き人たちが活躍する。そんな物語に弱いんだと思います。

今度はその巨神兵のシーンを描いたのが、あの庵野秀明さんということを知って。それからさらに庵野さんの作品も追っかけるようになり、エヴァンゲリオンなどをたくさん観ました。これも、ある意味弱者が何とかしようともがく物語ですよね。
そんなエヴァやほかの庵野さんの作品には、単なる映画やアニメを越えた、庵野秀明さんの人生というか、メッセージを感じるんですよ。庵野秀明展に行ってグッズも買いましたよ(笑)。


フィクション作品の役割は、社会への「突破口」

――フィクションや物語がお好きというのがとても伝わりました。そういうフィクションの役割について、政治に携われて様々な制度改革に取り組んでいる泉さんはどのように考えていますか?

政治はあくまで、あとからなんです。まず市民たちの要望や必要があって、それを後から押しすすめるのが政治の仕事。
そんな中、映画などのフィクションは、最初に気づきを与えてくれる存在だと思っています。体制に迎合せず、「そんな目線もあるかも」「こんな考え方があるんだ」と、そういうことを考えさせてくれるきっかけですね。違う角度を教えてくれますし、新しい発想や時代の突破口を開いてくれる存在です。
これは私の政治スタンスにもつながっていますね。
歴史というのは、私は「少数者が多数者に置き換わる」というものだと思っています。それが「歴史が動く」ということ。
その少数者が多数者に置き換わるための、気づきの部分をになう機能が、文化にあると思うんです。

――たとえばLGBTQ+や人種差別問題などをいろいろアップデートしていこうというのが今の映画会社が取り組んでいることの一つで、一方でいろいろ議論も呼んでいますが、そのあたりはどのようにお考えですか?

反発がある、というのは、「投げかけがある」ということだと思います。波風を立てられるのが文化で、刺激的なのも文化のいいところだし。
波風を立てんような文化なんてつまらないですよ。良い作品は深さとか奥行きがあって、時代の変わり目を生きているものだと思います。

あと、文化というものは、一定の共感性を持っているものだとも思います。『鬼滅の刃』も、単に勧善懲悪ではなく、鬼の人生の哀しみを描いていたところが共感を呼んだんでしょうし。
人の心を打つ作品、というのは、何かしら社会的課題や矛盾などが奥に潜んでいたり、そういうのが多いんだと思いますね。
たとえば是枝裕和監督がいろんな社会問題を扱っている映画を撮っているのも、必然だと思って拝見しています。
(是枝裕和監督…日本を代表する映画監督の1人。『誰も知らない』『万引き家族』『ベイビー・ブローカー』など、社会問題をモチーフにした作品でも知られている。最新作『怪物』が現在公開中)




文化はあくまで政治のすぐ隣にある

――コロナ禍になって、「文化は不要不急」と言われることが多くなりました。そんな数年間を映画を含む文化は味わったわけですが、泉さんはどのように思われたんでしょうか?

心を豊かにする、そのために文化は絶対必要なんですよ。
もちろん政治家として、みんながちゃんと稼げてご飯を食べられる社会、というのを作らないといけないのですが、それと同時に、心も豊かにしないといけない。

私は文化の中でも、本がとても大好きなんです。昔からあった夢の1つが、どんな子供も好きな絵本を読めるようにする、というものでした。だから市長になった後、多くの反対を押し切って、従来の広さ4倍・蔵書2倍の図書館を新たに作った。みんなに本を読んでもらう機会を作らないと、そう思ったんです。
コロナ禍で、図書館は休館になりました。でもそれだけじゃだめだと思って、市の車を使って司書が、幼稚園や保育所の休園で自宅にいる子どもの家庭に絵本を配るサービスを始めたんです。
これがとても喜ばれましたね。コロナで在宅になってぎくしゃくする家庭もあって、そんな中少しでも絵本で心を豊かに過ごしてもらいたいと思って。
でも当時のコロナ禍中は、対面を避けるでしょう? だから自宅前にそっと置いておくんですけど、子どもたちは「季節外れのサンタがきた!」と大喜び。司書の方々にもとても喜んでもらいました。

一方、バンドを自分でやっていたこともあって、音楽についてもサポートしたかった。
特に中学生・高校生の音楽活動ですね。彼らは楽器を買うのも一苦労で、練習スタジオのお金も出せない。だから明石駅前に、中高生用の無料音楽スタジオを作ったんです。
楽器のレンタルももちろん無料。思う存分練習してもらって、ライブのサポートもした。よく招待を受けるので、時間が許せば聞きに行ってます。
あとはストリートミュージシャンの問題があったんです。路上で演奏して、騒音問題になっていた。もちろん大きな音は良くないし、場所は通行の邪魔にならないところにしてほしいけど、それさえ守れば大丈夫だろうと、一度路上演奏禁止になったのを私から呼びかけて、場所と音量を限定して許可する方針に代えてもらったこともありました。

――そんな文化と政治は、泉さんにとっては密接にくっついているんですね。

まず私の人生と一緒ですね、一番最初の気づきが文化、というのも。私ももともと文化的なことが好きだったし、最初に就職したのは映像の力を生かすテレビ局。そのあと政治の世界に身を投じてきました。
気づきがあって、世の中を変えないと、という思いがあって、それを政治家として頑張ってきたつもりですし、これからもそんな感じですね。

だからこそ、政治は文化の隣にいてほしい、とも思ってます。
本当はぼくの本とかも、政治コーナーじゃなくて、アイドルの写真集の隣に置いてほしいぐらいなんです(笑)。僕にとってそれは何ら不思議なことではなくて。
多分僕が言う「政治」って、狭い政治のことではないんですよ。もっと市民の生活にくっついているもの、つながっているものだと思ってるんですよね。
だから発信も、政治だけじゃなくて文化や生活のことも発信していきたいし、それが人が生活しているというリアリティがある、ということだと思います。

――ありがとうございました。


泉 房穂(イズミ フサホ)
1963年、兵庫県明石市二見町生まれ。県立明石西高校、東京大学教育学部卒業。NHK、テレビ朝日でディレクターを務めた後、石井紘基氏の秘書を経て、1997年に弁護士資格を取得。2003年に民主党から出馬し衆議院議員に。2011年5月から2023年4月まで明石市長。「5つの無料化」に代表される子ども施策のほか、高齢者・障害者福祉などにも注力し、市の人口、出生数、税収をそれぞれ伸ばして「明石モデル」と注目された。

最新書籍は、5月1日発売の「政治はケンカだ! 明石市長の12年」(講談社)。