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[寄稿]『夏の祈り』監督 坂口香津美さん

今回は、映画『夏の祈り』の坂口香津美監督をご紹介します。
被爆高齢者のための特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」。入居者たちはここで1年に数回、ホームを訪れる小中高生に向けて劇を上演します。題材は「あの夏の日に遭遇した自らの被爆体験」。
『夏の祈り』は、そうやって次代の子どもたちに、戦争体験を語り継いでいこうとする彼らに密着したドキュメンタリー映画です。
(当インタビュー記事は、ライターの岩瀬春美様より寄稿していただきました)

 

 

「運命の歯車を回し続けること、生き切るために」坂口香津美監督
「いかに過酷な運命を背負っても、運命の歯車を回し続けること。回し切ること。それが生きることだと、僕は原爆ホームのお年寄りたちから教えてもらった」。

こう語るのは、ドキュメンタリー映画『夏の祈り』を手がけた坂口香津美監督。坂口監督は、2009年から2年間、長崎市郊外にある被爆者専用の特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」に通い、お年寄りたちの日常を撮り続けた。

原爆ホームで余生を送る人々。そこには祈りとともに、限りある時間の中で、命を燃やし続けている姿があった。それが自らの体験を元に演じる「被爆劇」だ。ホームには平和学習の目的で年間に数校、全国から修学旅行生が訪れる。その日、ホームのお年寄りたちは子どもたちを前に、1945年8月9日、長崎に原爆が投下された日の体験を演劇で再現して見せる。

「痛いよう」「水をください」「助けて」…。映像には、両腕を施設の職員に支えられながら1歩1歩、舞台上を踏みしめる姿、中には車椅子を降りて這いつくばって舞台に出ていく姿も映し出され、自らの悲劇的な体験を全身全霊で伝えようとするお年寄りたちの覚悟が伝わる。防空頭巾をかぶり、声を上げて逃げ回る人からは、被爆直後の阿鼻叫喚の地獄絵図が透けてみえてくるようだ。また、舞台の正面に立ち、老人たちが静かに手を合わせて祈る姿もある。

そんなお年寄りたちの姿と、見つめる子どもたちの瞳を、デジタルカメラで撮影し続けた坂口監督。監督はこれまで3本の劇映画を手掛けている。ひきこもりの青年の内面世界と自立への目覚めを描く『青の塔』、殺人を犯した少年が罪をどう償うのかを問いかける『カタルシス』、そして、レイプされた17歳の少女と家族の17年後を描く『ネムリユスリカ』と、いずれも、社会の底辺で重荷を背負って生きる人間の姿を独自の視点で描いてきた。ドキュメンタリー映画を手掛けたのは、今回の『夏の祈り』が初めて。カメラを通して監督が見つめたものは何かを語ってもらった。


坂口香津美監督(撮影:岩瀬春美)

生き抜いてきた事が尊い

恵の丘長崎原爆ホームのお年寄りたちは長い間、原爆症を患いながら、また、様々な差別を受けながら今日まで生き長らえて来られた。解決しない問題をもずっと抱え込んで。それでも、深い絶望とともに葛藤しながらも生き抜いて来られた。それはとても尊いことだと思うんです。

被爆者は、これまでおびただしい数の人々が亡くなった中で、何とか生き伸びて来たとの思いがあります。自分だけがつらいわけではなく、みんなつらい。その中で自分とは一体何なんだ、と自問自答し続けてきた68年だったと思います。

原爆ホームで余生を送る被爆高齢者たちは、まだ誰からも原爆投下の謝罪を受けていません。原爆投下国のアメリカからも。自分がどうして原爆投下の犠牲者にならなくてはならなかったのか、こんな運命になったかも分からないまま、刻一刻と、命のカウントダウンが近付いているのです。

ホームの日常生活でお年寄りたちが自らの被爆体験を語ることは、皆無です。そこにいるのは全員、想像を絶する被爆の体験者であり、被爆の悪夢は一生消えない。癒えない。だからこそ、年に数回、子供たちを前に語るのです。足腰が立たずとも、まさに命がけで、自らの被爆体験を語らずには死ねないとばかりに。被爆者というより、そういうあまりにもつらく厳しい人生を背負った人たちが老後を生き抜くために、被爆劇は必要だったと思うんです。


スーパーサウルス提供

被爆劇が教えてくれるもの

人間の命は有限であるという意味で、これは消えゆく被爆劇なのです。映画を撮ってから3年がたちますが、一人、また一人と、被爆劇をやっている人たちが歯が欠けるように亡くなっています。当然ながら、映画が記録した被爆劇は時間の経過とともに元の形を留めることは叶わず、様々に形を変えながら、今はかろうじて残っているという状況です。映画を撮影した当時の被爆劇が上演できるぎりぎり状態で、あの頃がまさに「絶頂期」だったのです。

心身に深く刻まれたあの夏の日の記憶を、お年寄りたちは、被爆劇を通して命がけで伝える。目の前では、子どもたちが全身全霊で受け取り、涙を流している。その時に彼らは自分の思いが伝わったと、明らかに認識しているのです。

もたらされた過酷な運命と引きかえに、彼らが得た喜びもまた、間違いなくあると僕は思うんですよ。不条理な体験を自らの身体を通して伝えることで、次世代に向けて原爆投下の悲劇が二度と起きないようにとの「祈り」を表すことができる。被爆劇は色んな意味を教えてくれています。


スーパーサウルス提供

哀しくて心は涙を流しているのに、涙が出ない、ある被爆者の訃報にふれて
映画に登場する被爆者の1人、山口ソイ子さんは27歳の時、長崎の爆心地から1.1キロの地点で被爆し、視力を完全に失いました。僕は山口さんと実際に接して、本当に優しい人だと感じました。山口さんは「二度と、再び、この戦争をやめさせてもらって、原爆っていう爆弾をね、落としてもらいなくないですね」と話しました。その言葉を残して2012年7月、山口さんは優しく、無垢で寛容な心のまま、旅立ちました。

山口さんの訃報を聞いた時、僕は哀しかったけれど、涙は出ませんでした。哀しくて心は涙を流しているのに、涙が出ない。おそらくそれは、彼女が彼女の運命を生き切ったという感じがしたから。誰をうらむでもなく、平和をひたすら願いながら、自分の過酷な運命の歯車を回し切ったと僕は思いました。その姿はとても潔く、崇高でさえありました。

僕はカメラでその姿を記録しました。彼女の人生は僕の中で生きているし、映像の中でも生きている。そういう姿を撮らせてもらったことがありがたいし、誇らしいし、一人でも多くの方々にこういう被爆者がいたんだ、ということを知って欲しいですね。

今回のテーマは「生き切ること」。生き切るとは、大切な何かのために自らの命を捧げるように、命の一滴までふりしぼるように生きること。それはまさに自分との凄絶な闘いでもある。しかし、そこにこそ生きる幸福が、明らかにあると思うんですよ。だから山口さんはあんなに優しいし、亡くなってもなお、生死を超えて心に訴えて来る力がある。
※山口ソイ子さんの最後の言葉は、映画『夏の祈り』の予告篇(YouTube)で触れることができる。


スーパーサウルス提供

人間にはその身を削ってでも伝えなければならないものがある

2年間に及ぶ撮影で、被爆者から僕が教えてもらったのは、いかに過酷な運命を背負っても、運命の歯車を回し続けること。回し切ることの大切さ。それこそが、人間が生きる究極の姿だと気づかされました。人は運命の歯車をあえて強く自分から回さなくても生きてはいける。漠然と、漫然と日々を過ごし、生を終えることもできる。しかし、何かの拍子に、自分とは何か、自分の人生とは一体何だったのか、と内なる問いかけに向き合った時、求道即ち道なり、ではないが、すでに運命の歯車を求め、回し始めているのだと思います。

被爆という自分の記憶の中にある過酷な運命と、晩年になってもう一度対峙することがどれほどつらく厳しいものであるか、彼らは身をもって知っています。しかし、その身を削ってでも伝えなければならない。伝えなければ自分は死ねない。そういう思いを抱えて被爆劇を演じる。それこそがまさに運命の歯車を回し切ることだと思うんですよ。回し続けるだけではなく、回し切ることに自分の人生が意味をなす。人間として生まれて来た意味がそこにある。それを被爆者たちは老人ホームの小さな舞台から教えているのです。

いかなる境遇であっても、なぜ自分はこういう目に遭ったのかという、意味を探す。答えを見つけること、それこそ生きることだと気づいた時、自ずから生きる意味にぶち当たる。同時に、自分が生きている意味の核心がおぼろげながら見えて来る瞬間が、必ずあるはずだと思います。過酷な運命にも意味がある、と。そうして人生に自分なりの決着なり、落とし所を見いだし、一歩でも前に進む。より能動的に歯車を回すことの大切さを、僕は原爆ホームのお年寄りから教わりました。


スーパーサウルス提供

 

『夏の祈り』上映は2012年8月に長崎から始まり、東京、横浜、盛岡、長野、名古屋、大阪と全国を巡り、今でもロングランを続けている。12月8日からは鹿児島(鹿児島ガーデンズシネマ)での上映がスタートする同時に、学校上映など、自主上映会にも貸し出しを受け付ける。

現在、坂口監督は、5作目の劇映画『シロナガスクジラに捧げるバレエ』の実現に向けて動き出している。次作の舞台は、大震災、大津波に襲われた海辺の村。自宅を流され、両親や祖父母を喪った幼い姉妹が、過酷な運命を負いながらも、絶望に折れず、再び姉妹で生きていく決意をする物語だ。

『夏の祈り』の撮影を終えたのは、2011年2月。間もなく、東日本大震災が発生した。震災後、坂口監督の元に一通の便りが届いた。かつて番組の企画で訪れたことのある、様々な事情から家族と離れて子供たちが共同で生活するとある生活私塾からだった。そこは大津波が押し寄せた宮城県東松島の海沿いに位置する場所。手紙には、「大津波は三階まで押し寄せて来ました。子供たちはその窓から必死で手を伸ばして、次々と流されてくる人々をすくいあげました」とあった。その一文が坂口監督の胸を強く打ち、やがて一つの物語が生まれたという。

被災地では、今もなお多くの人々が苦しみの渦中にある。そして復興までの道のりは、長い。原爆ホームで「生き切ること」の尊さを目の当たりにした監督が、絶望の先にある希望をどう描くのか、こちらにも注目したい。

 

(取材・執筆 ライター・岩瀬春美)

■サイト
『夏の祈り』公式サイト
http://www.natsunoinori.com/
被爆高齢者の思い伝えたい 『夏の祈り』九条で上映【キネプレニュース】
http://www.cinepre.biz/?p=2353