2021年12月9日(木)より大阪・阪急うめだ本店9階・阪急うめだギャラリー、阪急うめだホールにて『「アニメージュとジブリ展」一冊の雑誌からジブリは始まった』がスタートしました。
日本初の商業アニメ専門誌として1974年に創刊された「アニメージュ」。創刊当時から80年代にかけての活躍や、当時の記事、さらには同時期に取り上げられたアニメーション作品の貴重な資料とともに展示する貴重な催しとなっています。
そして、そんな今回の展示の音声ガイドを務めているのが、声優の島本須美さん。今回の催しでも大々的に取り扱われている作品の一つでもある『風の谷のナウシカ』にて主人公のナウシカ役を務めたのが島本さんということで、まさに適任とも言えます。今回はそんな島本さんに直接、当時のアニメーション界やご自身の体験について話を聞くことができました。
かつて、TVアニメは子どもが楽しむものという認識が強くありました。その変化が訪れたのが1974年に登場した『宇宙戦艦ヤマト』。本作の登場によって大人の視聴者を続々と獲得していき、現在のようなアニメーションを幅広い層が観るようになる土壌が出来上がっていきます。その波が強くなってきたことを示すように、70年代末にアニメージュは創刊を迎えます。
このアニメージュの創刊とほぼ時を同じくして、すでに女優としての活動を続けてきた島本須美さんは声優デビューを果たします。そして、あの『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)でクラリス・ド・カリオストロことクラリス役を演じたことで、声優として一躍有名になるわけですが、まだ当時は女優としての活動も並行して行なっていたと言います。当時の状況下での心境を伺ってみました。
―今回アニメージュの創刊や島本さんがデビューされた1970年代末は、現在にも続くアニメブームの源流にもなる時期と言われています。その中心人物の一人として活躍されていた島本さんとしても創刊以前と以後でのアニメーションの扱いの変化についてどう感じられていましたか?
アニメージュの創刊の一年後にデビューしているので、実はアニメージュは私にとってはお兄さんにあたるんですね。この頃、世間の認識も“まんが”からアニメに変わる時期で、私自身も当時は声優という扱いよりも女優という扱いでした。確かに戸惑いはあったと思います。
―『めぞん一刻』(1986年)の音無響子役に選ばれた頃を契機に女優から声優へ転身する意識に変わったとも伺ったのですが、その時はどういった意識の変化がありましたか。
80年頃はまだ女優としての活動もやっていたのですが、ちょうど『めぞん一刻』が始まった頃が劇団を辞めたタイミングでした。劇団を辞めたことがそのまま仕事の意識が変わるきっかけとなって、声優業に専念するようになったんですね。この頃にはイベント活動も増えてきて、歌手活動などもするようになり、苦労したことを覚えています。
『風の谷のナウシカ』(1984年)でナウシカ役を演じた1984年、アニメージュが主催する読者による人気投票企画アニメグランプリの女性声優部門でも1位を受賞するほどの人気を獲得していた島本さん。すでに声優としての高い人気を獲得していながらも、本格的に声優の道へと専念していくのが80年代の後半だったことは意外な話です。 1984年末に出版された自伝を含む文庫本「島本須美これからの私」でも、まさにその過渡期を捉えており、声優としての成功と演劇の道も捨てきれない当時が捉えられていました。そんな過渡期に演じることとなったナウシカというキャラクターは、島本さんにとってどんな存在だったのでしょうか。 |
―現在でもTV放送や歌舞伎版の公演など『風の谷のナウシカ』が注目される際には、ナウシカの声を披露されることも多いと思いますが、島本さんにとってはどんな存在なのでしょうか。
ナウシカの役が決まる以前から、原作の漫画版『風の谷のナウシカ』のことは知っていたんですね。というのも当時ファンの方から、ぜひナウシカ役を演じて欲しいという声を受けていて、ぜひ演じたいという話はしていたんです。私にとっては、ナウシカはジャンヌダルクのような存在に映っていました。
―島本さんといえばナウシカや『ルパン三世カリオストロの城』のクラリスなど、真の強さを秘めた女性キャラクターを演じている印象がありますが、自身は実際そういったイメージとは近い部分はあるのでしょうか。
芯が強いところやまっすぐなキャラクターであるところは近いと感じます。
―島本さんのスタジオジブリ作品の出演は『もののけ姫』が最後ですが、00年代以降の作品もご覧にはなられているんですか?
全てではないのですが、テレビなどで放送されている作品を観たりはします。中でも『千と千尋の神隠し』は好きですね。
『となりのトトロ』(1988)ではサツキやメイの母親役を、『もののけ姫』(1997年)ではトキ役を演じ、スタジオジブリ作品では多くの作品でご活躍されていた島本さん。出演していない作品でも、近年のジブリ作品を観ていたりと、インタビューの際にお互いの好みのスタジオジブリ作品の話をしたりと話は特に弾みました。作品だけでなく、現在スタジオジブリでプロデューサーとしても活躍されている鈴木敏夫さんとの当時の関わりも伺うことができました。 |
―当時はアニメージュの編集長だった鈴木敏夫さんとの関わりはあったのでしょうか。印象的なエピソードなどあったりしますか。
ナウシカを演じた当時は、文庫本(徳間書店「島本須美これからの私」)の出版で関わったのが鈴木敏夫さんでした。当時はまだ女優と言う意識も強く持っていた時期で、声優の道へ専念するか人生について多く話させていただいたことを覚えています。当時の鈴木さんはラフな服装で人の良さそうなお兄さんといった印象がありました。
スタジオジブリの設立は1985年。『風の谷のナウシカ』が厳密にはスタジオジブリの前身にあたるトップクラフト社にて制作されたのは有名な話ですが、宮崎駿監督だけでなく、まだプロデューサーとして活躍する以前の鈴木敏夫さんとも密接な関わりを持っていたというのは、驚きの話でした。そして、最後に今後の活動についてもお聞きすることができました。 |
―近年、『クレヨンしんちゃん』や『ルパン三世』など長期放送されている作品では、長年演じられてきた役を交代するというケースも増えてきましたが、島本さん自身は声優の仕事をいつまで続けていきたいといった展望はあるのでしょうか。
喋れる間は続けたいと考えています。
具体的にいつ頃までといった回答でなかったことは嬉しい回答でした。現在も放送が続いている『それいけ!アンパンマン』でのしょくぱんまん役や、『名探偵コナン』の新一の母である工藤有希子役などはもちろんのこと、今後も多くの作品で島本さんの声に出会える機会が待っているのではないでしょうか。 |
『風の谷のナウシカ』の作品が大好きで、まさか島本さんご本人に直接お話を伺える機会をいただけるとは思っておらず、かなり緊張した状態でのインタビューとなってしまった中でも、島本さんは笑顔を絶やさず優しく接してくれました。終始温かい雰囲気でお話を伺うことができ、その不思議な魅力には、どうしてもナウシカが重なって見えてしまう体験となりました。
「アニメージュとジブリ展」大阪会場を訪れた島本須美さん(左)と高橋望さん(右)
そんな島本さんからは『アニメージュとジブリ展』の見所として、『風の谷のナウシカ』のセル画など手描きの資料が多く展示されている点や、大阪限定で『じゃリン子チエ』のセル画展示が設けられている点も見所としてお勧めいただきました。
『「アニメージュとジブリ展」一冊の雑誌からジブリは始まった』は大阪・阪急うめだ本店9階・阪急うめだギャラリー、阪急うめだホールにて2022年1月10日(月・祝)まで開催中です。足をお運びの際はぜひ、島本さんによる音声ガイドを聞いておくのもお忘れなく。
詳細情報 |
■開催日程 12月9日(木)~2022年1月10日(月・祝) ※2022年1月1日(土・祝)は休館 ■料金 ■会場 ■サイト |