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第3章 マサラ上映編「ハッピーじゃなければエンドじゃない」1/4

この第3章では、塚口サンサン劇場を「イベント上映」の聖地たらしめるきっかけとなった、インド映画の「マサラ上映」について触れていきたい。

まず、インド映画について。
インドは実は、年間1,000本以上の映画が製作されているという映画大国。アメリカのハリウッドに比較して近年「ボリウッド」とも呼ばれている。
ダンスシーンやミュージカルを多用する作風が主流な時代もあったが、最近ではストーリー性の高いもの・シリアスなものも多数制作され、世界的にも高い評価を受けるようになってきた。
日本では、1995年公開の『ムトゥ 踊るマハラジャ』がヒット。そのあたりから、インド映画が認知されるようになった。

そんなインド映画界で、2007年に興行成績トップの記録をたたき出したのが、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』という作品。
映画業界を舞台に、脇役俳優の青年と大人気女優の恋、そして30年後の転生を描くラブストーリーだ。
この映画が日本にやってきたのが2013年。多くの映画ファンに受け入れられ、インド映画好きを増やすのに大きな貢献を果たした。
それ以降も根強いファンが多く、2017年には宝塚歌劇で舞台化されている。

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そんなインド映画は、いつしか「マサラ映画」とも呼ばれはじめた。
マサラとはもともと、「さまざまな香辛料をまぜあわせたもの」を指す言葉。それを、「ミュージカル、ラブ、アクションなどなんでもあり」のインド映画に当てはめて使用されたのがキッカケだという。

そのさなか、インド映画に大ハマりした一人の関西在住の男性が、2001年にあるイベントを企画する。
インドの、とくに南部地方では、映画館の観客はおとなしく鑑賞するのではなく、立ったり叫んだり踊ったりしながら、一体となって盛り上がるという。
それを日本でもできないか、と考えた。
場所に選ばれたのは、大阪・動物園前のフェスティバルゲートにあった映画館「動物園前シネフェスタ4」(2007年に閉館。現在はマルハンとドンキ・ホーテ)。『バーシャ!』という映画で行った。

ただし当時は、「応援上映」なんてものは影も形もない時代。
「映画館で、立って声を上げてください」と言われても、抵抗のある日本人は多かった。
そこで主催者たちは、紙吹雪やクラッカーを導入し、お祭り感のあるイベントにしようと考えた。
より非日常感を強めることで、通常の映画鑑賞ではなく「イベントなのだ」というイメージを持ってもらおうとしたのだろう。

これが好評を博した。
そして、以降のインド映画で多数使用されるシステムとなっていった。
つまり、鑑賞方法も「なんでもあり」にしてしまったのが「マサラ上映」と言える。

こうした人たちの尽力と口コミのおかげもあり、前述の『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』が日本で公開された2013年には、マサラ上映ファンもだいぶ増えてきていた。
関西の映画館でも、アジア系の作品に強いシネマート心斎橋など、劇場側が主導して実施するところも現れはじめた。

そんな流れの中で、2013年4月に元町映画館で開催された『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』マサラ上映を鑑賞した、塚口サンサン劇場の女性スタッフがいる。

彼女は、その楽しさと興奮を、すぐに戸村さんはじめほかのスタッフに伝えた。
そして「サンサン劇場でもやりたい」と提案した。
戸村さんは、その提案に即応。
そうして2013年6月1日(土)に、サンサン劇場での同作のマサラ上映が実現した。

その時のことを戸村さんはこう振り返る。
「自分はまだマサラを体験していないし、正直どこまでお客さんが来てくれるか不透明でした。だから1日の映画サービスデーの日に開催したんです。安ければ、ちょっとはお客さんが増えるだろうと(笑)」

そんな心境で、恐る恐る始めた塚口サンサン劇場でのマサラ上映だったが、この下の写真のようになるまでは、それほど時間はかからなかった。

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