作家・増山実さんの新刊『波の上のキネマ』(集英社刊)が全国の書店で好評発売中。同作は、かつて西表島にあった炭鉱と映画館について描いた小説だ。
増山さんは、ベテランの放送作家として、関西の人気テレビ番組『ビーバップ!ハイヒール』のチーフ構成を手掛けるなど活躍する一方、2013年、『勇者たちへの伝言』で小説家デビュー。同作は2016年、第4回「大阪ほんま本大賞」を受賞。他の著作に『空の走者たち』『風よ僕らに海の歌を』がある。
「時代に埋もれた人々の声を拾い上げたい」と、スポットが当たらない歴史に目を向けて執筆活動を続ける増山さんに『波の上のキネマ』に込める思いをうかがった。
『波の上のキネマ』は、閉館の危機を迎えた小さな映画館を舞台に物語が始まる。館主の安室俊介は、今後の決断を迫られる中、映画館のルーツを調べ始めることに。そして、創業者で祖父の俊英が、80年前、西表島に存在した炭鉱で働いていたことを知る……。
日本の近代化に貢献した産業遺産として注目される炭鉱に「光の部分ばかりが強調されている」と増山さん。
「炭鉱の闇の部分はあまりフォーカスされない。過酷な労働条件で働かされ、近代化の犠牲になった人たちがいたんです。これは何も昔の話ではない。原発の現場や除染作業を行う日雇い労働者、外国人技能実習生。搾取され、使い捨てになる図式は今も同じです」
そんな知られざる歴史を描くきっかけになったのは、炭鉱跡地の一枚の写真だった。
「ジャングルの中に建物が写っていたんです。どうやらそれは映画館だったらしい。『ジャングルの中の映画館』、当時の人々のざわめきがそこから聞こえるような気がして、いったいなぜできたのか、と想像が広がりました」
そして、映画を架け橋に、80年前と現在を描く小説の構想につながったという。
物語のもう一つの中心となる町の映画館「波の上キネマ」の立地には、尼崎・立花を選んだ。
「立花の商店街は今でも元気がよくて、本屋さんもいっぱいある。ここに昔ながらの映画館が建っててもおかしくないと思ったんです」
町の映画館という設定にもこだわりが。
「今、町の本屋さんの状況は厳しい。大手書店やアマゾンもあって。大変な中で奮闘する本屋さんを応援したい。そんな気持ちを町の映画館に投影しながら筆を進めました」
「波の上キネマ」と同じく尼崎で奮闘する町の映画館として登場するのが「塚口ルナ劇場」。阪急塚口駅前に実在する映画館・塚口サンサン劇場がモデルだ。執筆にあたり、同館の戸村文彦さんを取材したという増山さん。初対面だったが、そのときの内容がストーリーを動かす原動力に。
「戸村さんは、自身の映画館はもちろんのこと、尼崎の映画館の歴史にも詳しくて大変参考になりました。おもしろい話も沢山聞けた。小説の前半に描かれる『君の名は』(昭和28年公開)を観にきた老夫婦のエピソードは、ほぼ戸村さんの実体験なんです」
増山さん自身の映画の思い出をたずねると、出身地の吹田や、学生時代を過ごした京都の映画館の話に。
「吹田はもともと映画館が多い町でした。吹田東映、吹田映劇、吹田東宝……。自然と映画をよく観るようになりました。大学時代は、京都の下宿先の近くに京一会館という名画座があったんです。そこの3本立てやオールナイト興行よく通いました。3本立てだと新旧ジャンルごちゃ混ぜで上映される。浴びるようにいろんな映画に触れました」
これまで書いた小説の中には、必ず映画や映画館のシーンが登場すると増山さん。本作は、映画館が直接題材なだけに、今まで以上に沢山の映画へのオマージュが込められた。
「炭鉱のシーンで印象的に使われるハーモニカ。これは『大いなる幻影』からヒントを得ています。『ショーシャンクの空に』もハーモニカが登場しますね。これは僕の想像ですが、『ショーシャンクの空に』に出てくるハーモニカは、『大いなる幻影』へのオマージュです。収容所や監獄でも、ハーモニカだったら持ち込めて、それが何らかの象徴になっている。そこで僕もこの小説に登場させました」
また、執筆中に偶然観た映画から影響を受けることも。
「取材に行った塚口サンサン劇場でたまたま上映されていたのが『ベイビー・ドライバー』。凄腕運転手の運び屋。これはおもしろいな、と考えたんです」
そうして生まれたキャラクターがフィルムを運ぶライダーのモヒカン。モヒカンというヴィジュアルは『タクシードライバー』で主演を務めるロバート・デ・ニーロからの発想だ。
その他にも、映画からの引用は細かく散りばめられているという。このような映画ファンを喜ばせる仕掛けには「分かる人には分かると思うので、密かに楽しんでもらいたいですね」と笑顔をのぞかせた。
小説刊行後には、『波の上のキネマ』の世界が現実に浮かび上がるような体験があった。
塚口サンサン劇場において、本書発刊を記念したチャップリン特集が組まれ、作中の重要な場面で語られる『街の灯』『モダン・タイムス』『黄金狂時代』の3本が上映されたのだ。『街の灯』を2回観に行った増山さんは、そのときの観客の反応に驚いたという。
「2回とも同じところで笑いがおこるんですよ。これはきっと、80年前も同じだったんだろうなと。時代が違っても、人間の喜怒哀楽は大して変わらない。そう思いました」
世代を越えて、映画が人々に希望をあたえている光景を目の当たりにした増山さん。『波の上のキネマ』のテーマともつながる特別な映画体験をしみじみと語ってくれた。
小説『波の上のキネマ』は、全国の書店などで好評発売中。
キネプレが運営する大阪・天神橋筋六丁目のブックカフェバー「ワイルドバンチ」でも販売している。
詳細情報 |
■関連映画館 塚口サンサン劇場 (尼崎市南塚口町2-1-1、TEL 06-6429-3581) ■サイト |