私が映画鑑賞に馴染みのない人生を送ってきたことは前回おはなしした通りですが、大学に入ってからは活動範囲が広がり、映画館に足を運ぶ回数も多くなりました。
慣れてくると、気楽にぷらっと見に行ってもいいんだと思えるようになりましたし、下調べをせずにフィーリングで作品を選んで見るのもスリリングで楽しいと知りました。それから、ポップコーンが好みじゃないからといって、まかり間違ってもポテトチップスを持ち込んで食べてはいけないということも学びましたね!(劇場内は持ち込み飲食禁止です。そして食べる音がすごいのでホント無理です)
そんなわけで、映画館での映画鑑賞がプチ趣味になりつつあった大学生の私は、映画館の空気にもすっかり慣れて怖いもんナシ。そう思っていた……のですが、ある時、思わぬ異様な空気の流れる映画館に入ったことがあります。
あれは忘れもしない、2003年に見た『スパイ・ゾルゲ』。
暇な休日に、連れ合いとフラッと見に行った映画でした。この作品を見ると決めたのは、女優の小雪さんが出ていたから、ただそれだけ。当時の私はあのエキゾチックな美貌に夢中で、彼女が出ている作品は大体なんでも見ていたのです。だから、タイトルのゾルゲが何者なのかとか、ジャンルとか、そもそも洋画なのか邦画なのかもまったく調べずに行きました。ぶっちゃけ「007みたいなアクションものだといいな~」なんて思いながら劇場内に入ったのです。
その時ですよ。劇場内の様子に違和感を覚えたのは。
なにかがいつもと違う……なにかが。
静か? 大人しい? 人の気配はあるのに、知ってる空気感じゃない……。
なんで……? あ……、わかった……。
……おじいちゃんとおばあちゃんばっかりだからだ……。
そう、見渡すかぎり、シルバー世代のお客さんばかり。しかも、夫婦で来ている人が多いのか、おじいさんとおばあさんがバランス良い比率で座席に座っていたのです。
しかも、誰もがなにか食べてる……!
なんでかわからないけど皆さんなにかを食べていたのです。ホットドッグだったり、フライドポテトだったり。持ち込んだお弁当と水筒で、完全にご飯を食べている状態の人も(何度も言うけど持ち込み飲食はダメ絶対!)。
休日の午後です。別にお昼時ってこともない時間だったと思います。それなのに劇場内のおじいちゃんおばあちゃんたちは、誰もがモソモソと食事しているのです。
自分たちと同じような手ぶらな20代の客は全然いなくて、明らかに我々が異分子。そう言い切れる空気でした。
謎の空気に困惑しながら見始めた映画でしたが、映画が始まればシルバー世代がたくさん見に来ている理由がよくわかりました。
ゾルゲが第二次大戦に実在した人物だと知り、着物姿の小雪が赤ん坊を寝かしつけるために夜の散歩に出かけるシーンを見ていると、ここに座っている人たちはきっとみんなこういう時代を生きてきたんだろうなぁ、懐かしい思い出も一緒に見ているんだろうなぁ……と、すとんと心に落ちたのです。
ゾルゲの人生を追う物語は始終シリアスで難しかったけれど、その世代の人たちと同じ空間で見たことには価値があったんじゃないかなぁ……。そう思った、稀有な映画館体験でした。
ですが、もう一つの謎が解けていません。
ご飯です。
なんでみんなご飯を食べていたのか?
あでやかな小雪もさることながら、中身をこぼさないように一生懸命ホットドッグをほおばっているおばあちゃんの姿も負けず劣らず印象的で、どうしても頭から離れなかった私は、色んな人に相談してみました。
でも大体は「たまたまじゃない?」みたいな返事しかもらえなかったのですが、1人だけ「あの世代はああいう場所では食べるのが普通だと思ってるからじゃない?」と答えてくれた人がいました。
それが「普通」……?
なるほど。つまり、「映画館では食べ物が売られているから、買って食べるのが礼儀」と思ってるということか。
そう考え、納得し、私の映画館のご飯の謎は一旦幕を閉じました。
……が、それは間違いだったのです。
そのことに気づいたのは、数年後、はじめて歌舞伎を見に行った時のこと。
歌舞伎もシルバー世代の鑑賞者が多い娯楽ですので、それについては驚くことはありません。
でも、誰もがお弁当を食べながら席に座っていたのにはびっくりでした。なにせ『スパイ・ゾルゲ』のあの空気再来!? ですからね! なんだったら、演劇が始まっても、もぐもぐと食べているじゃないですか。
私が目を白黒させていると、歌舞伎に連れてきてくれた知人が教えてくれました。
「歌舞伎は終わるまでが長いから、食べながら観劇するものなんですよ。なんだったらロビーでお弁当が売られてますからね。劇場内で食べてくださいって」
だからか。だから食べるんだ。
数年越しに謎が解けた瞬間でした。
シルバー世代にとって、芝居や歌舞伎を見る時はお弁当を食べる。映画館で映画を鑑賞する時も、芝居を見るのと同じで食べる。「ああいう場所では食べるのが普通」とはそのことだったのか! と。
役者の演技を生で見る舞台からスクリーンで見る映画へ、形は変われど芝居は芝居。古くから愛される大衆娯楽には変わりないんだなぁ、と。
そして、こうして理由はわからないままに習慣というのは続いていくのだなぁ、と。
……そんな文化について考えさせられた出来事でした。ほんと、「気づき」はどこに落ちているかわかりませんね。
執筆:藤澤さなえ 2002年、大学在学中から創作集団グループSNEに所属。2004年に『新ソード・ワールドRPGリプレイNEXT(富士見ドラゴンブック刊)』シリーズを発表。以来、アナログゲームを中心に小説、リプレイなどを多数刊行してきた。他にもゲーム記事、シナリオのライティング、エッセイ、漫画のネーム執筆、TRPGのディレクティングなど活動は多岐にわたる。2017年に独立し、現在はフリーランス。趣味はもちろんゲーム全般。 |