「チン・チン・チネマ」って、なんじゃらほい。当然の疑問だ。残念ながらというべきだろう。断じて、下ネタではない。まずはそれをわかってもらうべく、自己紹介も兼ねて連載のタイトルを解説しておこう。
「株式会社京都ドーナッツクラブ。お店はこの木屋町の住所にあるんですか?」名刺を差し出すと、たいていそう聞かれる。しかし、僕たちはドーナッツの生産も販売もしていない。僕たちは甘くない。扱っているのは、映画や小説、演劇に音楽など、イタリアの文化的お宝だ。あちらにどんな作品があって、その魅力はどこにあるのか、権利は誰が持っているのか。そうしたことを調査して日本に紹介する。翻訳をしたり、解説をしたり、イベントを企画したり。木屋町にある事務所兼イベントスペースで、そんな仕事をしている。では、なぜドーナッツなのか。
2005年に設立をしたきっかけがイタリア演劇の公演で、僕たちメンバーも出演していたのだが、他の劇団からの客演であったり、普段はサラリーマンやOLとして働いていたりする人もいることから、何かコードネームをそれぞれに付けようと思い立ったその場所がミスタードーナツだった。それだけだ。安易だと認める用意もないではないが、将来的には映画にまつわる仕事もしたいなと漠然と考えていたので、フィルムリールのような形をした甘い菓子に魅せられたことも付け加えておこう。かくして、僕たちは甘くなった。
メンバーは10名ほどいるが、この連載で執筆をするのは2名。ポンデ雅夫こと、僕野村雅夫と、有北クルーラーこと、有北雅彦。僕はドーナッツクラブの代表として、普段は大阪FM802のレギュラー番組を中心にラジオやテレビなどの放送メディアで仕事をしていて、有北は作家や役者として演劇界で活動している。僕たちふたりはよくコンビを組んで映画の字幕を作っていることから、この連載ではそれぞれの観点から「映画館で映画を観ること」について書いていこうと思う。
さて、チン・チン・チネマだ。イタリア語で表記すると、Cin Cin Cinema。チネマの部分は英語も同じ綴りだから想像がつくだろう。集合的に「映画」というメディアを指すほか、「映画館」という場所も意味する。
問題はチン・チンである。これは乾杯の際に何のはばかりもなく(当たり前だ)高らかに言い放たれる言葉で、実はグラスのぶつかり合う音に由来する擬音語だ。まとめると、「映画に乾杯」あるいは「映画館で乾杯」というようなことになる。アルファベットCINが3連続する字面の良さと、発音した時の語感の良さを備えた、なかなかに素敵なフレーズだ。告白すれば、借り物なのだけれど…
ドーナッツクラブを結成してすぐ、僕は2年ほどローマで遊学した。一応は映画論を専攻する大学院生ではあったものの、せっかくなので色んなところで日本では観られない作品を色々観てやろう。そんなざっくりした大志を胸にレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に降り立った僕の目に飛び込んできたのが、このチン・チン・チネマという言葉だった。これはローマに位置する映画館の春の統一キャンペーンのタイトルで、ポスターを見れば、月曜日から木曜日まで、昼なら3ユーロ、夜でも5ユーロで映画が鑑賞できる他、6本観れば2本タダになるという特典付き。安い!お得!日本だといくら割引を利用しても、1000円は下らないというのに。奨学金だけでやりくりしようという、時間はあるが金はない学生にとっては朗報以外の何ものでもないではないか! 太っ腹なキャンペーンそのものに、まずは乾杯だ。かくして、ローマにおける僕の映画とワインの日々が始まった。
ところで、この文章を読んでいる映画好きの読者諸賢は、鑑賞にあたってメモは取られるだろうか。ラジオでの3分短評を毎週行っている僕は、仕事柄必ず記録しておくことがある。作品の感想や各種レビューの切り貼りもそうなのだが、どんなに忙しくても、鑑賞した日付と場所は絶対に欠かせない。映画体験というのは、時に作品そのものよりも、どこで(そして誰と)観たのかが大事なことがあって、逆に言えば、その場所を記録しておきさえすれば、記憶が芋づる式に蘇ることがあるからだ。次回以降、そうしてするすると引き出した記憶を具体的に披露しながら、ともすると失われゆきかねない映画館という装置の魅力について考えてみたい。
執筆:野村雅夫 FM802 DJ、京都ドーナッツクラブ代表。 1978年生まれ。ラジオDJ、翻訳家。大学では映画理論を専攻。FM802のレギュラー番組Ciao Amici!で行う3分間の新作映画評は看板コーナーとして名物化している。また、イタリア映画の配給や字幕制作も行い、毎年東京と大阪で行われているイタリア映画祭ではパンフレットで総論を寄稿。2015年は東京国際映画祭でナビゲーターを務めた。 |