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クラスの“変わりもの”にむけて。

物語をつくるお仕事は、その人のうみだすものに「熱中性」がほしいなあ、と思うのです。
学校でたとえるなら、1クラス全員に浅く受けられるものは、べつに作らなくてもいい。
かわりに、クラスにかならず1人2人はいる変わりもの、たとえばギターを学校に持ってきちゃったり、マニアックなゲームの話をえんえんとしたり、わざわざ遠征して観に行った舞台の思い出を語ったり、もくもくと歴史小説を1人で読んでいたり。
そんな「メインからは外れた人」にちゃんと刺されば、それでいいんじゃないかなあ。
変わりものたちが、思わず熱中するもの、寝食を忘れて没入する物語を描ければ、それが価値になるのです。

あと熱中性は、「代替する」ことができません。
中毒性、と呼びかえてもいいね。
「その人の作るものでないと物足りない」
そう思わせたら、勝ちなのです。
個性、信念、ブレないこころ、描いた理想、作りたいもの、多様な経験、人生からにじみ出すもの。
どんな言い方でもいいのですが、それはその人の作品のれっきとした「顔」です。
そして、映画に限らず、おもしろーい作品は、やっぱりちゃんと「顔がある」。
大多数ではないけど、「クラスの変わりものたち」を熱狂させる力があるものです。

キネプレも、そんな「変わりもの」な人たちに届けばいいなあ、なんて思ってます。
自分もそんな変わりものの1人でしたからね。
だからキネプレは、大学生だったぼくに向けて、作っているところがあるのです。
背伸びしたくて、いろんなカルチャーに興味津々で、ちょっとだけ他人と違うことがしたくて、少しマニアックなことを知っていることが誇らしい。
そんな“みんなが通る”青春のじぶんに宛てた手紙のように、日々記事を書いています。