(京都シネマからの寄稿です) |
いよいよ京都シネマがオープンして10年目に突入する。・・・と言ってもまだ半年以上先の話だけど。この持ち回り連載企画が次いつまわってくるのかわからないので、いまのうちに書いておく。どこかでぼくのフライングを指摘するホイッスルが鳴りませんように。世界人類が今日も平和でありますように。
口に出して10年と言ってしまうといっそ0.5秒くらいに感じるが、実際はとても長くキビシイ道のりだった。2003年に京都朝日シネマが閉館し、スタッフ一同が路頭に迷いながらも、単発の上映会などを続けながら、各自それぞれの場所で雌伏し、再び結集し、しんしんと雪の降る深夜に吉良邸に討ち入り、本懐を遂げるまでの本当に長い年月であった。・・・途中から『忠臣蔵』のあらすじに変わってしまった。どこで間違ったんだろう、もうしわけナス。
とにかく2004年に晴れて京都シネマがここ、四条烏丸で産声を上げるのだが、初めの頃は「場所がわかりづらい」とか「ラインナップが偏りすぎている」とか、「スクリーン小せえ( ゚д゚)!」「視聴覚室(≧ε≦○ )」、あまつさえ「手がクサイ」とかさんざんな言われようだった。(手がクサイと言われたのはウソだけど)(スクリーンサイズについては今もディスられる)その度に涙を飲んでスタッフ一丸となりやってきた。いつの日にかみんなにわかってもらえる日が来ることを祈りながら。せっかくの機会なのでその時の開館宣言というか、代表の言葉をここに引用する。「彼(ネオ)のやっていることが正しいかどうか、私には判りません。果たして、彼が機械都市にたどり着けるのかどうかも判りません。仮にたどり着いたとして、それで彼が我々を救えるのかどうかも判りません。が、体内に一片の息の根がある限り、彼は決して諦めない、それだけは断言できます。だから、我々も諦めるわけにはいかないのです」・・・また間違った。これは映画『マトリックス』でモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)が理事たちに世界の救世主たるネオ(キアヌ・リーヴス)について言及した言葉だ。どうしてこんなことになっちゃうのかは分からないが、まあ、でも要旨としてはそんなに外れていないので良しとする。
ようするに京都シネマは今後もみなさんに愛される劇場としてがんばっていきますよということなんだけれども(スクリーンについてはコレがマックスなので勘弁してください)、そのことに関連した告知がある。10周年を記念して特別な上映会やイベント、それにまもなく一万人に近づこうとしている京都シネマ会員の皆様への感謝企画も予定している。詳細は近日開設予定の〈京都シネマ10イヤーズ・アニバーサリー特設サイト〉をチェックしてみてね。(特設サイトが特設されない場合は通常通り、当館公式サイトのインフォメーション欄をご参照ください)
予定とか思惑ばかりで結局内容ゼロみたいなかんじになっちゃったけど、次の順番のときにはいくつか具体的にリリースできるのではないかと思う。どうぞこれからも京都シネマをよろしくお願いします。スタッフ一同ご来館お待ちしています、冗談ぬきで。m(_ _”m)ペコリ