「テロップや音楽を使わない」という「観察映画」スタイルを提唱し、実践しているドキュメンタリー映画監督・想田和弘さん。
これまで、小泉チルドレンが出馬する際の選挙事務所の戦いにフォーカスした『選挙』(2007年)、岡山の精神科診療所「こらーる岡山」を舞台に、タブーと言われた精神病の世界を撮影した『精神』(2008年)を制作しました。また2010年には、観察映画の番外編『Peace』を発表しています。
想田監督が次にカメラを向けたのは、世界的に有名な劇作家・平田オリザさんと「青年団」。タイトルは、ずばり『演劇』。2部構成、合計5時間42分という大作です。
『演劇1』では、平田さんの演出や劇団運営、劇団員たちの稽古風景などを“観察”。独特の手法で知られる「平田演劇」に迫っています。『演劇2』は、平田さんが演劇文化や自分の劇団を継続していくために行っている活動について。社会的なPRや金銭のことなど、今まであまり扱われたことのないテーマが描かれています。
今回は、以前行われた共同インタビューの模様を記事にしました。想田監督が今作に込めた思いや、平田演劇の魅力などを語っています。ぜひ、ご覧ください。
平田オリザを撮ろうと思ったきっかけ
‐‐‐今年は特に大阪を中心に、文化に対する議論が多くなってきたわけですが、今回の『演劇』はそういう議論に対して一石を投じようという意図で作られたのでしょうか?
想田 『演劇』の撮影は2008年と2009年に行ったので、まったく予期出来なかったですね。時流に合わせて、とは全く考えてなかったのが正直なところです。
ただ一つ感じていたのは、芸術に関するドキュメンタリーは今までにもいろいろ作られてますけど、その大半が、方法論や内容に焦点を当てがちだったということ。つまり『演劇1』的なアプローチですね。でも、本当は芸術を支えるための経済活動や社会活動も、芸術家にとっては必要不可欠。僕はよく自転車に例えるんですが、前輪と後輪みたいなものじゃないかなと。創作活動そのものと、それを支えるための活動と、どちらかがなくなっても芸術は継続できないと思うんですよ。
こういった問題については、時世だからというわけではなく、もともと重大な関心を払っていたことではあります。僕も映画の作り手として、映画をどうやって世に送り出すか、どうやって継続的に作品を発表していくか、ということを常に考えてきましたから。
特に演劇は社会的な芸術であり、1人で完結できるようなものではないんですね。社会に認知されないと、芸術活動そのものが成り立たない。演劇をすることイコール「社会にコミットしていくこと」とも言えますから、この部分を一つの大きなテーマとして描きたいという意識がありました。
‐‐‐以前から平田オリザさん率いる青年団の舞台を観に行っていたんでしょうか。
想田 実は青年団とは、遅れて出会ったんですよ。2000年にニューヨークで『東京ノート』を拝見したのが初めてです。もともと、僕は演劇はちょっと苦手だったんですね。声を張り上げたり、不自然なせりふ回しをしたり、といういわゆる「芝居臭いイメージ」があって。でも平田さんの『東京ノート』を観劇した時、その偏見が払しょくされたんです。「芝居臭さ」というか、「演劇についていた手あか」みたいなものを、徹底的にぬぐいさろうとしている、と思いました。そこに平田さん自身の強い意志を感じたんです。
さらに驚いたのは、まるで優れたドキュメンタリーを観ているかのような舞台だったということです。ドキュメンタリーを作ってきた経験から感じていたんですが、現実にカメラを向けても、それを活き活きととらえるのは案外難しい。普通はしらじらしくなっちゃうんですね。でも青年団は舞台上で、日常生活をそのまま切り取ったような、すごくリアルな芝居を作っている。「いったいどうやってんの?」と、強烈な好奇心がわきました。
だから、2006年に再びニューヨークで公演された時も観に行きました。その時、『ヤルタ会談』と『忠臣蔵OL編』が上演されたんですが、かなり異なるタイプの作品にもかかわらず、作り手の世界観が前作と共通していたんです。おそらく方法論も同じ。「平田オリザって、もしかしてとてつもない芸術家なんじゃないか」と思い、平田さんの本を読み漁りました。案の定、平田作品の背後には「現代口語演劇理論」という確固たる方法論があったんですね。
僕自身も、「観察映画」というドキュメンタリーの手法を確立しようと模索していた時期だったので、平田さんが提唱する方法論について、大いに感じるところがありました。
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‐‐‐その時に平田さんのドキュメンタリーを撮りたいと思ったんでしょうか。
想田 いや、その時点ではまだです。というのも、まだ第1作の『選挙』(2007年)を発表する前でしたし、全くの無名の作家が撮影を申し込んでも受けてくれるとは想像できなかったんですね。『選挙』公開後の2008年に、知り合いの俳優の近藤強さんから「青年団に入りました」という連絡を受けて、急に話が現実味を帯びてきた感じです。撮影を申し込むための手紙を書き、近藤さんを通じて平田さんに渡してもらい、会いに行きました。
で、初めてお会いしたのが2008年の5月。快諾いただき7~9月に撮影して、そこで撮影を終えようと思ったんですが、平田さんが「11月には世界初のロボット演劇をするよ」といろんな人に話すんです。で、僕もこれは撮らないわけにはいかないぞ、と(笑)。夏に稽古していた舞台もそのあたりで上演されるので、11月と12月にも来日して撮影しました。そうしたら今度は「来年にフランスで公演するよ」と(笑)。「確かに、海外公演も撮りたいな……」と思い、どんどん延びていきました。
‐‐‐それで、『演劇1』と『演劇2』の合計5時間42分の大作になったと。2つに分けるという決断はいつ行ったんでしょうか。
想田 編集作業の最後の最後です。でも、もともと「1本には到底収められないな」という気持ちはどこかにありました。以前『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)を書いた時に、長すぎて読みにくいなあと思った章を、内容を変えずに2つの章に分けただけで、がぜん読み易くなったことがあったんです。同じ原理が映画に適用できるだろう、と。で、2部作にしようと。
‐‐‐以前から「社会のいろんな部分の人たちに注目したい」という話をされていたと思います。『選挙』では社会の中心に、『精神』では社会の周辺に注目した、と。その時、3本目で中心と周辺を行き来する人たちを撮りたいとおっしゃっていましたが、今回の『演劇』でそれは達成できたと考えているのでしょうか。
想田 はい、撮影している時からその手ごたえは感じていました。ドキュメンタリーには、人間のコミュニケーションの在り方が如実に映ると思っています。たとえば選挙事務所には選挙事務所のコミュニケーションがあるし、精神科診療所の「こらーる岡山」には「こらーる岡山」のコミュニケーションがある。じゃあ演劇の現場はどうなっているか。基本的には芸術家集団なんで、社会の周辺的な目線が根本にあるんです。でもだからと言ってそれだけでは演劇は続けていけない。お金のことや集客を気にしないとダメだし、他にもやらないといけないことがたくさんある。周辺と中心、両方のチャンネルを活性化させないと成り立たないんですね。そういうコミュニケーションの在り方が描けたのではと考えています。
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平田演劇を撮っていて
‐‐‐平田さんが稽古を付ける時、印象的だった場面はありましたか。
想田 平田さんは、あらゆることが可能だと思っているんじゃないかと感じました。どういうことかと言うと、難しいことにぶち当たっても、必ず解決策を見つけるんですね。行き詰るということがないんです。困難な場面に遭遇した人間って、たいていは怒ったりあきらめたりすると思うんですけど、平田さんの場合は、必ず別の解決法を探るんです。違う角度から攻めていく。セリフがどうしてもうまく言えない役者がいれば、セリフを変えるんですね。声を荒げたりしないし、侮辱もしない。それは演劇をプロデュースする場面でも同じでした。障害があったら「どうやって乗り越えるか」ということにさっと意識が向かうんです。仕事のできる人の特徴だと思います。
‐‐‐被写体に選ばれるのを嫌がる芸術家もいると思います。商売道具や技術を映されるのが嫌だとか。平田さんの場合はそんなことはなかったのでしょうか。
想田 平田さんはすごくオープンな人なんです。著作本でも自分の方法論をきっちり開示しています。「演劇というのは、方法論を開示したところから始まるんだ」ともおっしゃっていますね。あと、助成金を受けているということもあって、ご自分を24時間公的な存在だと思っている節があるなと。透明性をものすごく大事にしている方だと思いますね。
‐‐‐それは、カメラ用にパフォーマンスをしていないということなんでしょうか。
想田 そこが微妙なんですよね。カメラを全然気にしないから、最初はすごく撮りやすい人だと思ったんです。こちらがさびしくなるぐらいカメラを無視してくれる(笑)。でも途中でふと思いました。「ここまでカメラを無視するということは、実はカメラを相当意識しているということじゃないか」と。
考えてみれば、平田さんは「人間は演じる生き物である」と日ごろから言っていて、本当はリアルでないものをリアルにみせることをずっと追求してきた超一流の演出家です。だとすれば、やっぱり平田さんはカメラの前で平田オリザという役を演じていると考えた方が、自然なんです。
そうするとこちらも、その演技の“裂け目”みたいなものにカメラを向けたくなるわけです。演技じゃない素の瞬間というか。時々はそれが撮れたんじゃないかと思う瞬間もあったんですが、でもそれすらも、平田さんが素の瞬間に見せかけた演技かもしれない(笑)。
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‐‐‐他にも撮影で苦労されたことはありましたか。
想田 平田さんは、いろんなことを同時並行で行う人です。別々の芝居の稽古を1日に3つも4つもこなしながら、更に新作の戯曲を書いたり、劇団の収支を計算したり。そういう「同時並行感」を描くのが、映画として難しかったですね。時間軸が表現しづらいんです。たとえば「何月何日何時」みたいなテロップがあればわかりやすいんでしょうけど、「観察映画」ではテロップは使いません。だから、次から次へ精力的に活動している様子が表現しづらい。かなり苦労しました。
これは、現実の“リアル”とドキュメンタリーの“リアル”の違いでもあると思うんです。現実のリアルは、時間が脈々とつながっているから、そこに居合わせた人はちゃんと時間の流れの中で体感している。でもドキュメンタリーのリアルは、必ず編集やカットが入るというのが前提です。だからぶつ切れにされてもなお、まとまった時間として感じるためには、それなりの撮り方や編集の技術が必要になってくる。漫然と撮って漫然と編集しただけでは、その時の体験を再現できない。
‐‐‐想田監督の「観察映画」というスタイルは、音楽を用いませんが、でもすごく音楽的だなと思っています。
想田 それはよく言われることです。平田さんも音楽は使いませんが、音のリズムで世界を描こうとしているところがありますよね。そういう意味では似てるかも。
‐‐‐音楽だけじゃなく、想田監督は平田さんにシンパシーを感じているような気がしました。観察映画と平田演劇の方法論が似ているというか。そういう思いはあったんでしょうか。
想田 撮っている間は言語化できなかったんですけど、映画ができて『演劇vs. 映画 ドキュメンタリーは「虚構」を映せるか』(岩波書店)を書きながら、「僕は平田さんに自分自身を重ね合わせていた部分があったんだな」ということに気付きました。鏡をのぞきこむような感覚がどこかにあったんだろうと。もちろん相手は巨匠で、こちらは駆け出しの身ですし、こんなことを言うのは失礼なんですけど。でもそういうシンパシーのようなものは、無意識に感じていたんだと思います。
平田演劇は、自然に見える舞台を、緻密な計算と反復練習のうえで成り立たせているわけですよね。つまり、どんなに芝居が自然にみえたとしても、それは装われた自然さです。それは、僕の映画にも共通するんですよ。たとえばカメラで何かを撮影する時、絞りやフォーカス、画角など、意図的な操作をして初めて自然に見せることができるんですね。さらに編集する時も“自然に見えるように”操作するんです。こういう点でも共通する部分が多く、共感を覚えました。
そういう意味では、『演劇1・2』には「入れ子構造」がある。平田さんと青年団は、“世界のありのまま”を描こうとしている。さらにその“ありのまま”を描こうとしている僕がいる、という(笑)。その辺りも、この映画の見所だと思っています。
(2012年8月 取材・執筆:森田和幸)
■サイト
『演劇1』『演劇2』公式サイト
http://engeki12.com/
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