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間章 「街に愛される映画館」を続ける決意

戸村さんが映画館に勤務したのは、塚口サンサン劇場が初めてではない。
同じ運営会社の映画館の中でも、3館目である。
兵庫県西脇市にあった西脇大劇と、神戸市灘区にあった西灘劇場だ。

「あった」と書いた通り、この2館はすでに閉館して久しい。
戸村さんは塚口サンサン劇場の前に2回、閉館を経験しているのだ。それぞれいろんな事情が重なってはいるが。
だからこそ、今の塚口サンサン劇場が現代にどう生き残っていくか、頭を悩ませ汗をかき、必死に取り組んでいるのだ。

西脇大劇は、運営会社が最初に手がけた映画館だった。
開館は1946年の8月。
建築関係の仕事をしていた同社に、西脇の警察から相談があった。
「娯楽施設が少ない街の人のために、映画館をつくってほしい」
興行の世界は未経験だったが、見様見真似ではじめ、いつしか街にはなくてはならない映画館になった。

その勢いのまま、映画業界の活気にも後押しされ、西灘劇場を開館。塚口にも塚口劇場(これがのちの塚口サンサン劇場につながる)をオープンさせ、3館体制となった。

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塚口劇場

西灘劇場のオープンは1951年。最寄駅は阪急神戸線「王子公園」駅。
1995年の阪神・淡路大震災の建物被害の影響もあり、2004年に閉館した。
戸村さんはその最後の数年間にかかわった。
1980年代から90年代に巻き起こった、いわゆる「ミニシアターブーム」を受け、海外の良作を多数上映していた映画館だった。
営業最終日は大雨だったが、立ち見が出るほどの盛況ぶり。上映終了後には、惜しむたくさんの観客がスクリーン前の舞台に花束を置いていった。
それを見た戸村さんは「なんて愛された映画館だったんだろう」と大いに感動した。

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西灘劇場

一方、西脇大劇は2007年に閉館。
戸村さんはこちらでも閉館前の数年間に携わった。
途中、2004年の台風被害で劇場が浸水した。営業再開の際はコストダウンを意識し、映画2本分の上映料を1本分にあてて、その代わり客が入りやすいヒット作を上映するなど、番組編成に腐心した。
閉館直前にはある年配の女性が訪れて、「これで私の映画館は最後」と言ったという。「近くにも映画館はありますよ」という戸村さんに、彼女は「田舎に住んでいると自分の街以外の映画館にはなかなか行けないんです」と語った。
戸村さんはこの女性との会話で、「街の映画館」がなくなる、という寂しさを改めて実感したという。

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西脇大劇

こうした思い出を、戸村さんは時折話してくれる。
前章で紹介した小説『波の上のキネマ』の取材でも増山さんにこの話をし、いくつかは物語に採用された。
そして2021年11月には、お客さんの前でトークイベントを行った。
昔からの映画館が閉館の危機にあう映画『浜の朝日の嘘つきどもと』に合わせての開催。「尼の塚口のお喋りどもと」と題し、2館の思い出を語った。

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2021年11月23日のトークイベント(写真提供:関西キネマ倶楽部)

戸村さんの映画館での思い出は、あふれるほどある。
閉館してしまったことは悲しいが、だからこそ映画館とはどういう存在かをずっと考えているし、それを塚口サンサン劇場の運営に生かしている。

おそらく戸村さんの中では、映画館への想いと、自由な発想が良いバランスで同居しているのだろう。
たとえば映画配信。自宅でも気軽に映画が観られる環境が整備され、コロナ禍の巣ごもり需要がそれを後押しした。
一見、映画館としてはピンチな話題だ。でも戸村さんは、むしろチャンスだという。
「数あるエンタメの中で、映画に新しく触れる人が配信のおかげで増えるんです。映画を好きになってくれる人がこれからも出てくる。それはありがたいことです」
だからこそサンサン劇場のやることは、ひとつだ。
「そうして映画を好きになった人を、今度はどう映画館に来てもらうようにするか。それを考えれば良いだけですから」
さらりと話す戸村さん。
こうした心構えが、多くのファンを作り、愛されている理由の一つなのだ。

さらに、「街」への思いもある。
西脇大劇も、西灘劇場も、街の人々に愛された映画館だった。

そして塚口サンサン劇場も、街に愛されている。
コスプレした人が集い、周辺でピザが売り切れ、100均からは紙とクラッカーがなくなり、爆音が鳴り響き、ほら貝が鳴ったとしても。
あたたかく見守ってくれる。

戸村さんはそんな「懐が広い街」塚口に一緒に盛り上がっていただきたいという思いから、半券サービスの提携店舗を多数作っている。
「街に映画館があることで、街が活気づくのなら」
だから塚口サンサン劇場のツイッタープロフィールには、いまでも「エプロンでも気軽に来られる映画館」と記されているのだ。

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塚口サンサン劇場ツイッター

県外から、全国からたくさんのお客さんが来てくれるようになったし、それはとてもありがたい。
一方で、街の人たちにも気軽にたくさん利用してほしい。
そして、全国からのお客さんたちによって、街が相乗効果で盛り上がるのが一番いい。

――その媒介ができるなら、なんでもやってやる。
ユニークなイベントでも、前説でも。番組編成に苦労しても、企画に悩んでも。

「街の映画館」への思いがある戸村さんが、塚口サンサン劇場をずっと「愛される街の映画館」のまま育てあげてきた。
シネコンが隆盛し、日本中から姿を消してきた「街の映画館」が、ここにはまだ残っている。
だからこそ、市外・県外からも多くの人が集ってくる。
いまみんなで目撃しているのは、そんな「街の映画館」が現代で息を吹き返す、奇跡の物語だ。