今では当たり前にもなってきた「応援上映」(コロナ禍で中断してはいるが)という言葉は、2013年にはまだなかった。
前章での「紙吹雪・クラッカーあり」のマサラ上映は、大阪で2001年からはじまり、2010年前後には少しずつ認知を拡大している。
応援上映の萌芽も、あるにはあった。
2009年には、東京の立川シネマシティで「ライブスタイル上映」と名づけられたイベントが企画。2011年にはアニメ映画『劇場版 戦国BASARA -The Last Party-』が「絶叫ナイト」を企画・実施した。
だが、実際のところ「応援上映」が世の中に定着するまではまだ少しの時間を必要とした。
これは、そんな途中の2013年の話だ。
「映画館で叫びながら作品を鑑賞する」なんてことは、まだほとんどの人が理解してくれなかった、そんなときの話だ。
この年に公開され、アニメファン・特撮ファンに大好評を得た映画がある。
『パシフィック・リム』。
SF映画で、太平洋の底から生まれる巨大怪獣に、人類が巨人兵器「イェーガー」で立ち向かう姿を描いた。
菊地凛子さん、芦田愛菜さんが出演したことでも話題となったほか、日本のロボット映画、怪獣映画などへのリスペクトも多く盛り込まれていたことから、観客の心をつかみ熱狂的な支持を得た。
必殺技のひとつ「エルボーロケット」が、日本の風土に合わせて吹替台本で「ロケットパンチ」に替えられたことも、話題となった。
そんな『パシフィック・リム』が、人気が過熱するにしたがって、有志による上映会が持ち上がる。
イェーガーの雄姿を応援したい。
怪獣とロボットの激戦に、熱いエールを送りたい。
みんなで、「ロケットパンチ!」って叫びたい!
そんな人たちが現れ始めた。
この流れを受ける形で、先述の立川シネマシティが、9月末に「絶叫上映会」の実施を決定。関東近郊のファンが沸いた。
それを聞いてうらやましく思った、関西のファンたちがいる。
――東京がやるなら、関西でも自分たちでやろう。
ある一人の、当時大学生だった男性が呼びかけ人となり、参加希望者をネットで募った。と同時に、関西の映画館に働きかけ始めた。
だが、述べたとおり、「応援上映」という単語がまだ生まれていない時代。
映画館の理解を得ることは、簡単なことではなかった。
通常の鑑賞目的で訪れるお客さんにも説明が難しい。
「みんなで貸し切ってでも、やりたい」
そんな思いを胸に、彼は交渉をつづけた。だが実施が決まりかけたものの、また白紙に戻ってしまう、という事態になった。
そこで手を挙げたのが、塚口サンサン劇場だ。
今だから告白すると、この話には私も少し関わっている。
関西でのこの企画が持ち上がり、いったん暗礁に乗り上げそうになった時。
私の脳裏に浮かんだのが塚口サンサン劇場だった。
先述の通り、少し前の2013年6月からマサラ上映をスタートした劇場。
でも単なるマサラ上映の枠を超えて、優れたホスピタリティと、サンサン劇場独自の創造性が加えられているのを見ていた。
マサラ上映自体を進化させているように思えた。
「ここなら、やれるんじゃないか」
そう思った私は、戸村さんに電話をした。
――こういうムーブメントがいま起こっている。そしてある人が、関西でも出来る映画館を探している。サンサンではどうか。
戸村さんはこう即答した。
「面白いですね。ぜひ担当者を紹介してください」
ああ、この人に電話をしてよかった。そう思った。
そのあとはその男性と戸村さんとの間で、実施の相談が進められた。
男性は戸村さんに、こう述べたという。
「東京では、9月に立川でイベントが開催されようとしています。すごく盛り上がっています。関西の僕たちも盛り上がりたいんです。みんなで『ロケットパンチ!』って叫びたいんです!」
「そうか、じゃあ叫ぶか!」
サンサン流の「即断即決の軽いノリ」で、開催が決まった。
日は、2013年10月13日。
立川シネマシティでの9月29日の開催から、2週間後だった。
作中の基地になぞらえて、「塚口シャッタードーム」と名づけられた塚口サンサン劇場に、関西周辺から約300人が集まった。
そしておおげさでもなんでもなく、この日がまた塚口サンサン劇場の歴史を変えた、そんな奇跡の一日となった。