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「チン・チン・チネマ」第6回 おかんの覚醒(有北雅彦)

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先日、気の置けない友人で集まった。夜も更け、ハイボールの空ジョッキは何杯も転がり、自然と下ネタが飛び交う時間が訪れた。過去の恋バナにはじまり、ちょっと際どい体験を暴露したり、隠していた性癖を告白したりと、忘れられない夜になった。中でも面白かったのは、友人Y君がマンハッタンでゲイの白人アーティストに別荘に誘われ、ピンクのブリーフを履くはめになったエピソードであるのだが、これを話すのはまた別の機会に譲ることにしよう。

このように、開放的な会話を交わすのはとても楽しいもので、その楽しさは大人になってさまざまな経験を積むにつれ右肩上がりになってゆく。一方で、大人は「大人」を演じなければいけない時が往々にしてある。職場であったり、家庭であったりだ。

僕も人の親になる年齢になってわかる。いい大人を演じるというのは、大変に窮屈なものなのだ。気の置けない友達同士で下ネタを言い合う時のあの解放感はみんなもわかってくれるね?

そしてここからは僕の持論だが、世の中の親というのは、意識的にか無意識にか、家庭において「下ネタ解禁」と判断する瞬間があるように思われる。どんな親だって人の子であり、「まあまあ、ここからは無礼講でいきましょうや」と思う瞬間が訪れるものなのだ。このような親の状態を僕は「覚醒」と呼んでいる。

僕が高校3年生の時だ。

あれは少し小雨の降る、初夏の夕方だった。僕が部屋で受験勉強をしていると、おかんが僕の部屋に入ってきた。僕の実家は、僕の部屋を通らないとベランダに行けない構造になっていて、おかんは洗濯物を干すために僕の後ろを通ったのだった。少しして、洗濯物を干し終えたおかんは、ベランダを下り僕の部屋に戻ってきた。通常ならそのまま通り過ぎるはずだが、なぜだかそうしないおかんがいた。僕は机に向かっていたため、背中でおかんの気配を感じていた。おかんがベッドに腰を下ろす空気があった。僕は数学の難問に集中していたため、後ろを振り返ることはなかった。15分くらいした頃だろうか。何気なく後ろを振り返ると、そこには、僕が本棚の奥に所蔵していたエロ本を取り出し、読みふけっているおかんがいた。

肝が冷えた。

いつの間に僕のエロ本の隠し場所を探り当てたのか。そしてなぜこのタイミングで、僕の背後でそれを読むのか。僕の頭の中で無数のクエスチョンが飛び交った。だけど僕は何も言えなかった。思春期の高校生男子は、母親の突然の奇行に対してあまりにも無力だ。少ししてエロ本を読了したおかんは、エロ本をもとの位置に丁寧に戻し、「まあまあやな」と言い残して部屋を去っていった。

あの時のおかんの真意を、僕はまだ聞けずにいるが、わが家にとっては、これが下ネタ解禁の合図だった。それ以降、おかんは積極的に下ネタを口にするようになった。「世界ウルルン滞在記」で山本太郎がアフリカの現地住民に混じり、ペニスケースをつけて闊歩するのを見ておおいにはしゃぐようにもなった。

「おかんが最近ヘンなんだ」。僕は友達にそう相談したような、しなかったような。「それは宇宙人(グレイ)にさらわれて別人とすり替えられたんだよ」などとまことしやかにささやくオカルト好きの友人が、いたような、いなかったような。

もしかしたら、と、あの頃を振り返り、大人の僕は想像してみる。おかんもやはり窮屈だったのかもしれない。僕が中学1年生の時におとんは急逝した。おかんは着付け講師として働き、僕を大学にまで行かせてくれた。親でいることに、大人でいることに、ちょっぴり疲れたのかもしれなかった。

僕は大学生になった。バイトを始めて、少しの給料をもらった僕は、おかんの誕生日だったか母の日だったかに、映画館に映画を観に行こうと誘った。選んだ映画は「タイタニック」だった。

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みなさんご存じのように、あれだけ何度も金曜ロードショーでお茶の間に流れるタイタニックだが、中盤になかなか威勢のいいラブシーンがある。レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが、息を弾ませ熱く体を重ねる。

以前この連載で語ったように、小学生の僕は、はからずも霊幻道士のエッチなシーンを見てしまいこっぴどく叱られたわけだが、今回はそうではなかった。僕は大学生だったし、いまやおかんも覚醒していた。チャンネルを変えることも、意味なく台所に立つこともなく(そもそもできない)、僕とおかんは二大ハリウッドスターの営みを肩を並べて鑑賞した。途中で僕は隣りに座るおかんの顔を盗み見た。おかんは無表情だった。銀幕の光が照らしたおかんの横顔は、なぜだか凛々しく、美しく見えた。

そういえば、イタリアにこんな短いバルゼッレッタ(ジョーク)がある。

「ママ、誰も答えられなかった先生の問いに、僕だけが答えられたんだよ」
「すごいわね、どんな問いだったの?」
「『宿題を忘れたのは誰ですか?』って」

映画館を出て、家への道すがら、僕はおかんに「どうやった?」と聞いてみた。おかんは「まあまあやな」と答えた。

それが、映画全体についての感想だったのか、ディカプリオのラブシーンについての厳しい批評だったのか、その真意もまた、僕はいまだに聞けずにいる。

執筆:有北雅彦
1978年、和歌山県生まれ。作家・翻訳家・俳優。大阪外国語大学でイタリア語を学びながらコメディーユニット・かのうとおっさんを結成。’13年「国際コメディー演劇フェスティバル」コント部門A最優秀賞。訳書に『13歳までにやっておくべき50の冒険』『モテる大人になるための50の秘密指令』(ともに太郎次郎社エディタス)。

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