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「チン・チン・チネマ」第5回 シッダールタが悟りを開くその前に(野村雅夫)

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あなたは屋外で映画を観たことがあるだろうか。僕がまず思い出すのは、小学生時代の夏休み。地域の祭りが学校のグラウンドで行われ、そこに野外上映が組み込まれていたのだ。まだ日の高いうちに、いつも僕たちがドッジボールに興じていた一角に仮設のスクリーンが設置され、軽トラに乗せられて来たのは16mm映写機。と、そこまでは何となく覚えているものの、暗くなって何が上映されたのかさっぱり記憶にないのは、僕がきっと夜陰に乗じて校舎裏に友達としけこみ、集めていたシールやわいせつ図書の交換などに夢中だったからだろう。ただ、この祭りでの野外上映は毎年あるようなものではなく、その翌年以降はお目見えしなかった。

話を戻して、高一の夏も、僕は母とともにその町を何年かぶりに訪れていた。3週間ほどをそのアパートで過ごしていたのだが、「映画でも観に行こうか」とある日母に誘われたことをよく覚えている。だって、「こんな小さな町に映画館なんてあったっけ?」と思ったから。母は言った。「あるのよ、それが」

「リトル・ブッダ」イタリア版

観たのは、当時日本でも話題になっていたものの、母が見そびれていたベルナルド・ベルトルッチ監督の『リトル・ブッダ』。輪廻転生に基づき、ダライ・ラマ法王の魂の継承者を僧侶が探し出す様子と、キアヌ・リーブス演じるシッダールタの半生記が描かれる。

確かに生まれて初めて自分の小遣いで買い求めた漫画は手塚治虫『ブッダ』ではあるし、通った保育園は仏教系ではあるものの、そもそもチベット仏教におけるダライ・ラマの継承システムについて何の知識も持ち合わせていなかった(今も無いに等しいのだが…)ことに加え、当時ほぼ理解できなかったイタリア語による吹き替え(あちらに字幕上映という発想はほとんどない)にも惑わされながら、僕はベルトルッチが編んだイメージの連なりをただただ追う他ないという状況での鑑賞であった。要するに細かい部分までよく分かっていなかったがため、「輪廻転生とか言ってるけど、いきなり生まれ変わりだと子どもをチベットに連れ込むなんてのは人権侵害じゃないの?」と素朴な疑問を抱いた僕は、「あなたはまだ分かってない」と返す母とその夜軽い口論になった記憶がある。今になって思い返せば、それもまた味わい深い僕の夏のメモリーだ。

イタリアもダライ・ラマも分かったけれど、これって確か屋外での映画体験についての文章だったのでは? オーライ、大丈夫。忘れてないから。ここからが本題。地中海性気候のイタリアでは、夏がいくら暑くとも湿度が低くカラッとしていることもあり、実はあまり冷房設備が充実していない。暖房設備はセントラル・ヒーティングのものが必ずと言っていいほど設置されているが、僕もイタリアでは冷房のある家に住んだことがない。そして、僕が『リトル・ブッダ』を観たディアノ・マリーナの映画館も同様だった。いくら陽が落ちてからの上映だったとはいえ、8月に閉め切った劇場は暑かろう。僕も開映前はそう思っていた。こりゃ、キツイなと。その直後、僕はあっけにとられることになる。なんと、劇場の天井がやおら開き始めたのだ。何これ? こちらは開いた口が塞がらないまま、ブッダの物語が幕を開けた。シッダールタが悟りを開くその前に、映画館では天井がパカっと開いて夏の夜空が姿を現した格好だ。これがまた田舎町だから、そこそこ星が見えるのだ。言ってみれば、星空の下でスターたちに目を凝らすという、素敵すぎる建築的仕掛けだ。

Stars under the Stars。この表現は僕が生み出したものではなく、映画の都ローマで僕が参加した上映企画のキャッチコピーだ。野外上映の醍醐味を見事に言い当てた優れた表現で、僕はこれを相当気に入っていて、いつか日本でもこのフレーズを冠したイベントを実施したいなと企んでいるのだが、それはまた別の話。

天井が開閉するディアノ・マリーナの映画館。この記事を書くにあたり改めて調べてみると、その歴史は1882年、つまりは映画誕生よりも前に遡るというのだから驚きだ。芝居小屋から始まり、今も時折演劇が上演されるその劇場は、座席数可変で285から400。最新のデジタル設備も導入済みの立派な劇場で、地元住民や僕のような短期滞在客の需要に応え続けている。果たして、人口6千人ほどの自治体で常設の映画館が健全に経営されているという例が日本にどれほどあるのだろう。日本のように東京一極集中でない国の地方都市の底力を感じざるを得ない。実はこの夏、この町を再訪する予定があるので、できれば1本観てみたい。スクリーンもさることながら、今も天井がパカっと開くのかどうか、確認してみたいのだ。

執筆:野村雅夫
FM802 DJ、京都ドーナッツクラブ代表。
1978年生まれ。ラジオDJ、翻訳家。大学では映画理論を専攻。FM802のレギュラー番組Ciao Amici!で行う3分間の新作映画評は看板コーナーとして名物化している。また、イタリア映画の配給や字幕制作も行い、毎年東京と大阪で行われているイタリア映画祭ではパンフレットで総論を寄稿。2015年は東京国際映画祭でナビゲーターを務めた。

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