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「チン・チン・チネマ」第2回 大人の階段が登れない(有北雅彦)

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僕の映画体験は、多くの少年少女と同じく、アニメ映画に遡る。幼稚園の時にはすでに、ドラえもんやエスパー魔美やアンパンマンなどを観た覚えがある。だけど、和歌山の片田舎の子どもの拙い価値観では、アニメ映画はガキの見るものだ、という風潮がどこかにあり、実写映画=カッコいい大人のエンターテイメントである、という思い込みがあった。「映画館」で「実写映画」を観る、というのは、娯楽の少ない和歌山の片田舎で育った僕にとって、おおいに心を湧き立たせる行為だったのだ。しかし僕はまだ当時、その大人の階段を登ってはいなかった。

そこで僕は、父に映画館に連れていってくれとお願いした。だけど、「何が観たいんだ?」という父の問いかけに対して、僕は何も答えられなかった。今と違ってスマホも口コミサイトもない時代。僕はまず、どんな映画が僕の心にフィットするのか、調査を開始しなければならなかった。大人の階段とはなかなか険しい道のりだ。

そんなある日、学校で「キョンシー」が流行りだした。両手を前につきだし、ぴょんぴょん飛び跳ねるあの独特の動きはムーブメントとなり、おそらく日本全国で流行になったと思う。僕らのクラスも例外ではなく、

「この映画、めちゃくちゃ面白いで」

発言力のある松原君が声高にそう言った。双子の鳥居さん姉妹が息の合ったジャンプを見せ、額にお札を貼られるまねをされた辻本君はぴたりと動きを止めた。4年B組はにわかに訪れたキョンシーブームに沸きたっていた。

これだ。この映画を映画館で見たい。僕の心は躍った。今からすれば、キョンシーを映画館で観たからといって何が大人なのかわからないが、年端もいかない小学生にとっては、大いなる第一歩だったのだ。

その日は金曜日だった。心に決めた僕が、家で何気なく目を落とした新聞のテレビ欄に、「霊幻道士」の文字が躍っていた。

幽幻道士

金曜ロードショー!
僕は父に、学校でキョンシーが流行っていること、シリーズのひとつが今夜テレビで放送されることなどをウキウキして語った。
「それは楽しみやな」
父にも僕の熱が伝わり、映画館に行く前に、みんなで金曜ロードショーを観よう、ということになった。

夜の9時、僕と父、そして洗い物を済ませた母と、風呂上がりのおじいちゃん、家族全員がテレビの前に集まった。
金曜ロードショーが始まった。
しかし、なんだかようすがおかしかった。みんなの話では、スイカ頭という小太りの男や、テンテンというかわいい女の子が出てくるはずだが、いっこうに姿を見せない。僕がいぶかしんでいると、画面になまめかしい中国美女が現れ、やにわに服を脱いだ。そして、あれよあれよという間に、ベッドシーンが始まったのだ。

今にして思えば、そこまで過激な描写ではなかったような気もするが、声がすごかったという記憶がある。なぜ吹き替えの声優さんはあんなにあのシーンで頑張ってしまったのか。僕はあの声優さんに言ってやりたいことが山ほどある。まだ駆け出しで、なにか爪跡を残そうとしたのか。それとも逆にベテランで、他の声優さんに格の違いを見せつけようとしたのか。真意はわからないが、とにかく艶っぽい女の嬌声が、家族の鼓膜を震わせた。おじいちゃんが耳が遠かったので、それに合わせてボリュームを大きくしていたのも原因だろう。お隣さんまで聞こえたんじゃないかと僕は感じた。テレビドラマ「教師びんびん物語」の田原俊彦のキスシーンですらけしからんと言っていたお堅い父だったので、これはかなりショッキングだったはずだ。

案の定、父は憤慨して立ち上がり、

「なんでこんなエッチな映画が小学校で流行ってるんや! 最近の小学校はどうなってるんや!」

と、烈火のごとく怒りだした。「違うよ、これは何かの間違いなんだ!」僕は声をからして弁明したが、火がついた父の耳には届かなかった。

あとで知ったのだが、スイカ頭やテンテンで有名なあの映画は「幽幻道士」で、その時テレビ放映されていたのは「霊幻道士」だった。キャラクターの愛らしさや主題歌の親しみやすさで、日本では圧倒的に幽幻道士が人気を博したようだ。より子ども向けだったのもこちら。だがそんなこと、情報弱者だった僕には知る由もない。

かくして僕は全国のエッチな小学生の代表みたいに扱われ、父に大目玉をくらった。憤慨した父により、その夏、僕は映画館に連れて行ってもらえなかった。

こうして、僕ははじめて登ろうとした大人の階段を、知らず知らず三段飛ばしで登ってしまったせいで、あえなく転げ落ちるはめになったのだった。

そういえば、イタリアにこんな短いバルゼッレッタ(ジョーク)がある。

ある崖の上で、映画の撮影が行われていた。
監督が俳優に言った。
「次のシーンはここから飛び降りてもらえるかな?」
俳優は驚いて言った。
「ここから? 死んじゃいますよ!」
すると監督が微笑んで言った。
「大丈夫。これがラストシーンだから」

映画は、撮るのも観るのも時に危険が伴う。のんきに構えていては、大きなしっぺ返しをくらってしまう。いつ急転直下の危険にさらされるかわからないのだ。

僕が映画館で大人の映画をラストシーンまで観ることができるのは、もう少し先の話だ。

執筆:有北雅彦
1978年、和歌山県生まれ。作家・翻訳家・俳優。大阪外国語大学でイタリア語を学びながらコメディーユニット・かのうとおっさんを結成。’13年「国際コメディー演劇フェスティバル」コント部門A最優秀賞。訳書に『13歳までにやっておくべき50の冒険』『モテる大人になるための50の秘密指令』(ともに太郎次郎社エディタス)。

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