梅田地下にあるサイゼリアは、時間を忘れさせてくれる。
日が入らないので、夜も昼も関係ないからだった。
だから、マダピーが訪れて来たのも、昼の忙しい時間を縫ってなのか、仕事が終わった夕方からなのかは判らなかった。
「マダピー、仕事は?」
「まだ終わってない。報告書を書きに戻る予定だ」
「勤勉なこっちゃな」
マダピーは営業職だ。なにを売っているのかは忘れた。
アキトシがソファーの方に座り直し、ヒョーロンと並ぶと、マダピーは椅子に座る。
「……それで、話って?」
マダピーが「話がある」と言いだすときは大概、悪い話だ。
だが、それも作品のため。
そう思っているものの、やはり気持ちは晴れない。
人は否定されることに弱い。
マゾヒストは違うではないかと言われそうだが、普通と違う変わった生態をしているからこそ『変態』と呼ばれることを忘れないで欲しい。
自分にも少し変わったところはあると思うが、否定されて喜ぶようなことはない。
「まず、最初に謝っておく」
ただ、意外な入りにアキトシは思わず首を傾げた。
なにを謝るのだろう?
「アキトシの結婚は、正直めでたいと思っている。祝儀も本当は出したい」
つまり、ご祝儀を出してないことを申し訳ないと思っているようだ。
「いや、それは、ね」
マダピーはどちらにしろお金を出してくれている。資金を集めるためにあちこちしてくれている点を鑑みても、これ以上お金を出してもらう訳にはいかない。
それに、資金調達で結婚式を使うというアイディアを出したときにも、大鳥に対して失礼だろうと首を縦に振らなかった。
だから、ご祝儀を出さなかった……とも言えるだろう。
「その祝いたいという気持ちとは裏腹に、やはり映画で収益が上がるのか疑問だ」
やはり来た。
「制作するのなら自己満足ではなく、観客を楽しませる必要がある。それは収益が上がることと同義だ」
マダピーはデータ主義なところがある。
だからこそ数字を大切にした。
アキトシも忘れてはいない。
「もちろん、それは判ってるよ。作りたいものを作る。でも、俺の満足もお客さんが楽しんでくれることが含まれてるし」
マダピーは頷く。
「それなのに主役は素人。それで大丈夫なのか?」
ヒョーロンが嫌そうな顔をした。
「ま、またその話を蒸し返すんかい……」
マダピーは主役に慎重だった。認知度が低く集客ができない。演技の問題で観客の満足度を満たせない。主にこの二点だ。
「常にそこがネックだからな」
言いたいことは判らないでもない。
しかし、有名な役者を連れてくるのはお金がかかる。
契約次第ではあるが、大体は一本いくら……の契約ではなく時間の拘束でギャラが支払われる。要は時間給だ。
つまり、撮影日数が伸びれば伸びるほどお金がかかっていく。
下手な撮影をするつもりはないが、イレギュラーが起こったとき、資金面で対応できなくなる可能性があった。
逆に数字に厳しいのだから、そこも判っているはずだ。
言い返してやろう。
そう思ったが、マダピーは目を伏せて意見を続けた。
「ただ、魅力があることは理解している。そこに文句をつけようというわけじゃない」
「……じゃあ、なんで?」
マダピーは仕事で使っている革鞄の中から冊子を取り出した。
仕事用のものかと思ったが『大鳥紗理奈を主人公に据えた映画製作について』という文字が見えた。
「なにさ……?」
「彼女を主役にすることによって見込める収益を増やす方法を考えた」
まさかの手助け。
あれだけ反対していたのに。
だが、彼が話してくれたことを思い出す。
――お前を手伝ってるのは、お前が勝つと思っているからだ。
マダピーは無暗に反発しているわけではない。
やはり真剣に考えた末で、意見を述べてくれている。
少しだけ鼻の頭がジンとしたが、こらえて資料を手に取った。
一枚目をめくると、収益を増やすことは観客数を増やすことだと書いてある。
それに続けて大鳥紗理奈の関与者……と言う文字があった。
「関与者っちゅーんは?」
ヒョーロンが聞くと、マダピーが答える。
「観客候補者だ。人が商品に興味を持つ、買うというのは、どういう場合に起こるか。そこには『個人消費者』と『社会的消費者』というふたつのカテゴリが存在してな」
「その話、長くなるんか……?」
ヒョーロンはシナリオに集中しているからこそ、妙な話を挟みたくないのだろう。
「……判った。簡潔に話そう。ともかく、人は自分に『関与』しているものを購買する」
たぶん、これは消費者行動論だ。マーケティングのひとつとも言える。
「関与って言うのは……?」
ヒョーロンには悪いが、把握しておきたい。
「どれだけ自分と関係しているか、だな。つまり、関与していないものは購買意欲が薄い。例えばアキトシに…………難しいな」
「難しいんかい!」
ヒョーロンのツッコミ。
「そうだ。アキトシは映画を撮ることに興味がある。そうなると、自分と関与しないものは『ない』と考えてもおかしくない。例えばサラリーマンの愚痴を延々と書いた欝々しい本でも、興味を持つだろう」
「……あー、確かに?」
サラリーマンの心情を理解するのにはとてもいい参考書だ。
「地図でもそうだ。地形になにかしらの面白みを発見するだろう」
「眺めるの好きだね」
「江戸時代の風俗史や戦争の歴史、言語学に数学。知っていて損をすることはない」
苦手、というのはもちろんあるが、絶対に購買しないとは言い切れない。
ヒョーロンは顎に手を当てる。
「つまり、創作者っちゅーんは関与が多すぎるんか?」
「まぁ、そういうことだ。創作しない人間、もしくは創作の幅が限られている人間はもっと関与が薄い。例えば、経理をしている人間が趣味でもない囲碁の本を買うか?」
「趣味でないなら……買わなさそうだね。買っても読まないだろうし、判らない気がする」
「そういうことだ。ともかく、アキトシは世界の楽しみ方を知っている。だから難しい」
「遊びの達人っちゅーわけやな」
ヒョーロンの一言は的を射ている気もするが、印象はよくない。
「そこはもうっと、こう世界を楽しむ達人……とかにしない? なんか、ダメ人間に聞こえるんだけど……」
マダピーはほんのり笑った。
「本質は変わらんさ」
「……ううーん」
「話を戻すぞ。関与している物なら、購買意欲が湧く。つまり、観客に関与している物が多ければ多いほど、観客は増えるというわけだ」
ヒョーロンが唸る。
「はーん。生活必需日なんかも、それがないと自分の生活が成り立たん。自分と関与してるっちゅーことやな」
「そういうことだ」
有名人を配役するのは、その有名人を好きな人が興味を持ってくれるから。
常識だと思っていることだが、確かに構造を分析すると面白い。
「その関与は多ければ多いほど、購買は確実になっていく。そこで彼女が関与しているからこそ、観てくれる人物を特定してみた」
そこにはいろいろ書いてあるが特に注目したのは『近隣の住民、店舗』という文字だった。
「この住民、店舗って……」
「そこが話の要点だ。次のページにお進みください」
突然のプレゼン口調。
ほうほう、何が書いてあるんだ? と、会社の重役になったような気分でめくる。
「……地域を巻きこむ……?」
「そうだ。当たり前と言えば当たり前だが、シナリオでもそこをもっと強調して欲しい。それでさらに営業がかけられる」
「営業が?」
アキトシの疑問に深く頷くマダピー。
「彼女とやり取りがあるような会社は社会的関与者になる。なおかつ、そこを舞台にすればメリットがかなり増えるんだ。彼女に対するご祝儀の意味と広告費、なおかつ、人間関係が進展し、今後の仕事がやりやすくなったり」
確かに、メリットしかないように聞こえてくる。
「そうなると『どうせ出資したのだから』『あの人が出ているから』『うちの店が出ているから』と『映画を観よう』という理由が多くなる」
「……すごい、確かに観てくれそうだ……」
さらにマダピーは続ける。
「それが営業をかけた店舗のお客さんにまで波及する可能性もある上に、各店舗で広告も打ってもらえる」
「そうか、うちの店が出るよってなるし、その店が好きな人がちょっと観てみようかなって……」
マダピーは頷いた。
少しだけ懐疑的なのはヒョーロンだった。
「そんなにうまくいくんか?」
「実際に商業映画でもよく用いられる手法と言っていい。例えばコンビニで告知物を掲示してもらうのは、働いている店員が『自分の働いている場所がお勧めする映画』という形で関与するから。つまり、配給会社からすれば予測観客動員数の基礎数値が上がるからだ」
「ふむ、でもせやったら、もっと映画は大ヒットのオンパレードちゃうんか?」
「全員が全員、観るわけじゃないのは確かだ。だが、なんの関与もない人は映画を観ようとは考えない。とにかく関係者を増やし、観てくれるかもしれない……という人を増やす。単純な話だが、効果は必ずある」
人を楽しませるという意味では正解だ。
結婚式で流れる二人のプロフィール動画。
関係のない第三者が観ても、そんなに面白いと思えるものではない。
しかし、当事者たちは懐かしい思い出や、人となりを知っているので、かなり面白いと思うらしい。
――昔、自分が作った動画もそうだったな。
自分が作ったという、最大の関与があるからこそ特別な動画だった。
「……判った。ヒョーロン。できるだけそうなるように頑張ろう」
ヒョーロンは何度も頷く。
「判った。ワイも腕ふるうで」
多くの人に観てもらう工夫。
集客数が多くなる希望を感じるとともに、あまり大きな期待をしてがっかりしないようにと自分を戒める。
さらなる希望が見えたことが嬉しかった。
ただ、それ以上にマダピーの真剣さが、なにより嬉しかった。