「いいですよ?」
「……へ?」
梅田にあるイタリアンレストラン。黒が基調のシックなお店の中で、アキトシは思わず固まった。
なぜなら、目の前にいる相手――大鳥紗理奈の切り返しが、思わぬ反応だったからだ。
いや、思わぬ……ということはない。
むしろ望んでいた返事だ。
しかし、あまりに簡単すぎる。
これでいいのかと思うくらい、端的で素早い返事……
「え、い、いまオレ、結婚してって言ったよね?」
「そうですね?」
「結婚式の費用、映画の撮影のために使うって言ったよね……?」
「そうですね? あと、結婚式の代わりに上映会するって言ってました」
「そうですよね……?」
「だから、いいですよ?」
信じられない。
もっと考えこんで、返事をくれるものだと思っていた。
「え、でも、なんで?」
思わず聞いてしまう。
「え、なんでって……直感ですかね?」
名探偵、文豪よろしく、顎を親指と人差し指で挟み、大鳥は首を捻った。
「も、もうちょっと真剣に考えた方がよくない……?」
うーん、と紗理奈は唸る。
「でも、アキトシさんは真剣に考えて提案されたんですよね?」
「そ、それはそうだけど」
口にするときは心臓が破裂するかと思うくらいだった。
「じゃあ、いいんじゃないですか?」
まぶしい微笑み。
そういえば、と思い出す。
大鳥紗理奈の紗理奈はアメリカの天才子役シャーリー・テンプルから取られたものだと言っていた。
シャーリーの別名は『一回撮りのシャーリー(ワンテイク・シャーリー)』。
大鳥も、名前の影響を受けているのかもしれない。
けれど、だからと言って甘えられない。
「オレは嬉しいけど、大鳥さんの気持ちは、大丈夫なの……?」
大鳥は天井を見上げながら、また小さく唸って、首を傾げた。
「うーん、いまさらじゃないです?」
「あ……」
アキトシのために色々と便宜を図ってくれた。
デートのときは、彼女からキスをしてくれた。
大鳥は、自分に惚れているかもしれない。
そう、思ってはいたが……理由はよく判らない。
それも直感なのだろうか?
「不思議って感じの顔してますね」
ばれた。
「そうですねー。昔、わたしが映画館のアルバイトしてたの、覚えてます?」
「あ、うん。そのとき知り合ったんだもんね?」
「そのときから、わたしアキトシさんのこと好きだったんですよ?」
「ふえ?」
間の抜けた声が出た。
大鳥はクスクスと笑う。
「夏の頃の夜に、レイトショーでアキトシさん映画を観てて……」
お金がない学生時代、映画を観るのも一苦労だった。だから安く済むレイトショーは大変ありがたかったのを覚えている。
「映画が終わった後、よくベンチに座って空を見てましたよね」
「……あ、あれ見てたの?」
つい、いい映画を観るとぼうっとしてしまう癖がある。
そこを見られていたと思うと少し恥ずかしい。
「話しかけたらお邪魔しちゃうなって思って話しかけなかったんですけど……」
「お邪魔って、別に……」
苦笑いするが、大鳥は満面の笑みで首を横に振った。
「わたし、あれ、きっとアキトシさんは星空のスクリーンで映画を観てるんだって思ってたんですよ」
大鳥の言うことは、たまに不思議な感覚が混じっている。
「いや、でもあれは別に観た映画を思い出してたわけじゃ……」
「そうですよね! きっと、あの空には、アキトシさんが撮るだろう、未来の映画が観えてるんだって、ずっとそう思ってたんです」
「あ……」
それは、その通りだった。
良い映画を観て、触発されて、自分だったらこう作ろう、こう撮ろう、こうアレンジしてみよう……そんなふうに考えていた。
だから、ぼうっとしていたのだ。
それを、読み取ってくれていた?
「そんな背中が大好きでした。きっとこの人は、映画監督になるって夢を叶えて、きっとたくさんの人を喜ばせて、きっと、あの星たちが輝いているような、遠くに行ってしまうんだろうって……」
期待をしてくれていたことが嬉しい反面、少し悲しい。
「……現状は、こんな感じだけどね」
「ううん、だから、ちょっと嬉しかったんです」
ドキリとする。
「わたし、ひょっとしたらアキトシさんが星に旅立つところを、手伝えるんじゃないかって」
言葉が出なかった。
まだ、信じてもらえている。
自分の才能を……
「だから、結婚するってことは、一緒に連れて行ってくれるってことですよね?」
アキトシが行くところに。
「一番近いところで、一番力になれて、一番、幸せにしてもらうなんて、ちょっと贅沢すぎる気もしますけどね」
本当に、この人を妻として迎えられるのだろうか?
自分には、もったいない人ではないか?
期待に応えられなかったら……
今からでも、告白をなかったことにしたい。
そんな気持ちが一瞬だけ湧いてきた。
けれど……
「……オレ、もう君を裏切れない」
眼さえ、離せない。
「絶対、映画監督になって、君を幸せにする」
「……よろしくお願いしますね。わたしも、アキトシさんを幸せにできるよう、がんばっちゃいますから」
互いに、少しだけ涙ぐんでいたように思う。
けれど、そこには触れなかった。
一緒の気持ちになれた証のように思えたから。
「じゃあ、まずは結婚するためのルールを決めましょ!」
いきなりの提案に驚かされる。
「ル、ルール?」
「そうです。なにごとも曖昧なままだと話がちがーう! ってことになっちゃいかねません。結婚、人生の素敵イベントだと言っても正体は『契約』です。互いがこれから一緒になろうって言うんですから、逆に今、しっかりしておかないと」
さすが映画館の支配人。
そういうところはきっちりしている。
つい、アキトシは笑顔になった。
「しっかりしてる」
「でしょう? じゃあ、まずはゴミの出し方なんですけど」
「そんなところからなんだ!?」
「大事なことですよ! と言っても、住む場所が違うとルール変わっちゃうので、引っ越しした後、まっさきに決めるというルールでどうですか?」
「なるほど……あ、ちょっとまって、メモする」
「おー、さすが、しっかりしてます」
「でしょ?」
抱えていた不安はいつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。
未来について話し合うのは、映画の話をするのと同じ感覚でもあったから。
お店の人に「そろそろ……」と言われるまで、本当に時間を忘れて話し合った。
自然と手を繋ぎ、自然と言葉を交わし、幸せな時間を過ごし、そして資金のことも話し合った。
彼女も積極的に資金集めに協力してくれることに。
まずは、ちょっとはしたない感じはするけれど、友人たちにご祝儀の前借を。
それから映画館で上映会の宣伝と、資金提供の呼びかけをしてくれるということだった。
正直、資金がどれくらい集まるか判らない。
ただ、不安はない。
ときおり混ざる創作の話は、楽しいの塊だったから。
この人となら、なんでも乗り越えられる。
苦しいことも、楽しいことに変えられる。
そんな気がしたから。
「……あ、そういえば、お母さんが言ってたんですけど、結婚って違う家族の一員だった人同士がくっついて、新しい家族を作るじゃないですか。それは異文化コミュニケーションだし、そこで新しい家庭……つまり文化を作ることだって言ってました。これってなにか使えません?」
「あー、あー、あー、なるほど。確かに。どこかで使えそうかも!」
彼女の言葉をそのまま借りるなら、まさにアキトシと紗理奈はそれぞれの文化(かぞく)から離れ、ひとつの新しい文化(かぞく)を作ろうとしている。
それは、きっと新しい国を開くことと同じだ。
今日が二人の独立記念日。
先の見えない未来という暗闇を、二人で一緒に歩いていくことを誓った日。
きっと、この先に見えるのは、希望に満ち溢れた新しい夜明けだろう。