「あかん、だそうで……」
昼も夜も判らない梅田の地下。
そこにあるサイゼリヤでヒョーロンはスパゲティを食べていたが、アキトシの一言を聞いてフォークを落とした。皿が甲高い音を立てる。
「あかん?」
「あかんって……」
「あかんか……」
「あかんらしい……」
「あかんのかぁ……」
アキトシも対面の席に座り、頭を抱えた。
「何度目やっけ……?」
「五回目、かな……」
「まだ五回というべきか、もう五回というべきか……」
ヒョーロンは頭を抱えて唸りだす。
「まるで賽の河原やで……」
少しずつ石を積み上げ、やっとの思いで完成させたと思いきや、鬼がやってきて崩しさる。
何度やっても同じように……
精神的疲労は計り知れない。
「と、とにかくもう一回、考えてみよう」
ここで諦めたら四〇〇万円という資金は手に入らない。
その分、映画監督になる未来も遠のいてしまう。
きっと、鬼が笑顔で「よくやった」と褒めてくれる瞬間があるはずだ。
そうでなければ完璧な生き地獄だが……
「他のメンツはどないしたんや?」
「今日は全員無理らしいよ」
「まぁ、企画は大体できとるからな……あとは中身や。ワイらだけでなんとかなるっちゃーなる……」
ヒョーロンは再びフォークを持ってスパゲティをひとまき、口に含んだ。
「けどや、しかしや、駄菓子や! 何回、話を組み立て直したらええんや!? 単純に意地悪で突き返しとるんちゃうんか!? 根性パラメーターでも見定めとるんか!?」
「ちょ、パスタ飛ばすために口に含んだのか、いまの!? それはやめよう!? と、ともかく、ここがダメって点は返ってきてるけど、聞く?」
ナプキンで口の周りを拭くヒョーロン。テーブルの上も拭いた。
汚したのを気にするなら、最初から変なことをしなければいいのに……
「……聞かな、しゃーないやん……」
しぶしぶと言った様子だったので、アキトシもしぶしぶな感じで読み始める。
「えーっと……お疲れ様です、読みました」
「いや、そんなメールの頭からはええねん。要約してくれ。心がへしゃげるわ……」
「あー。かいつまんで言うと……どこも面白くないって……」
またフォークを落とした。お皿が悲鳴をあげている。
「どこもオモシロないってどういうことやねん!」
「ちょ、落ち着いて……」
あまりの大声に、周囲のお客さんがこちらを注目している。
「最大限の侮辱やろ。落ち着いてられるかいな!」
頭をかきむしるヒョーロン。アキトシも同じことをしたいが、恥ずかしいので冷静でいられた。
「まぁ、それは判らなくもないんだけどさ……」
ひとしきり暴れて満足したのか、ヒョーロンは深呼吸して、脱力した。
「……具体的にどこがどうオモロないか、あるんか?」
「あー、それをちょっと聞き返したことあるんだけど『オレは脚本家じゃない。読んで判断するだけや』って……」
「不毛っ!」
要するに「気に入るものが上がってくるまでダメだと言います」ということだ。
こうなると『相手の中にある正解』を探して、クリエイター側が四苦八苦する他ない。
しかも相手は『正解』を自分で判っていない。
暗中模索もいいところだ。
「どうする……?」
「どうするって……決まっとるやん。作り直そうやないか。資金がかかっとるんやろ」
ため息まじりではあったが、心強い返事だ。
「で、どっから行くんや?」
「とにかく、企画自体は悪くはないんじゃないかって話は出てるから……」
企画はものすごく簡単に要素だけ抜き出すと『ヨガ』『喫茶店』『恋愛もの』と言ったところだ。
特に深作は『ヨガ』と『恋愛』の組み合わせが『そこそこいい』と言っていた。その組み合わせだけでは既存の作品があったりするのだが……
「やっぱ中身なんか……ストーリーの運び方か?」
「キャラクターの作り方かもしれない……」
「いうたかて、最終的なキャラクターっちゅーんは役者入ってこそやろ?」
脚本というのは、それ自体で完成しているものではない。
あくまで映像になってこそだ。
字だけで完成させたいのなら、小説を書いた方がいい。
「まぁ、それも確かにそうだけどさ」
「ヨガ要素が弱いんかなぁ?」
「調べたけど『ヨーガ・スートラ』以外に『リグ・ヴェーダ』とか『ウパニシャッド』とかあるって……?」
「マニアックなとこいったな。恋愛と絡めるんなら『カーマ・スートラ』やろ」
「かーますーとら……」
「インドの性典や。いわゆるエッチ指南書やな。他にも『アナンガ・ランガ』や『ラティラハスラ』っちゅーんもあるが、一番有名なんが『カーマ・スートラ』や」
「じゃあ、それを絡めて……」
「それを絡めてって簡単にいうけども……」
「まぁ、だよねぇ……」
二人同時に大きくため息をつく。
たしかに、アキトシも今の本が完璧だとは思わない。
提出したものは『インドの秘術を治めた魔女が喫茶店にやってくるお客さんのお悩み相談』というものだ。
映画でやるにはインパクトがない。
どちらかと言えば連続テレビドラマ向けだろうか?
テレビドラマであっても、ファンタジー要素が強いかも知れない。
いや、ファンタジーがダメというわけではない。
ただ、リアリティが薄くなる上に、ご都合や設定が多くなるのが問題だ。
「うーん、そもそもや。『カーマ・スートラ』もマニアックやからなぁ。ほんまにそれでええんか?」
そう言われると自信がなくなる。
「でも、売りは考えないと……マダピーが満足しないし」
「それはそうやけど……アキトシが持ってるもんちゃうんやろ? それでホンマにええもん撮れるんか?」
「あー……」
「大体、使いたいゆうてた女の子、インドの『カーマ・スートラ』が絡むような子なんか?」
「そ、それは、違うかも……」
「やとしたら……」
言われて初めて意識する。
せっかく大鳥を主役にすると決めたのに、企画先行で妙な企画を作っていたのだ……
「ごめん。なんか、間違ってたかも……」
「謝ることはあらへんよ。ゆうて、いい案が浮かぶわけちゃうからなぁ……」
自分の中にあるもの。
自分の一番大切なもの。
『つながり』そして『映画』。
かといって『映画』を映画の題材に持ってくる勇気はない。
もし『映画』で撮るなら『ニュー・シネマ・パラダイス』を越えなければ。
いつかはやりたいが、今すぐアイディアが出てくるとは思えない。
大きなため息をついてアキトシは自分の人生を振り返る。
五、六歳の頃に父が死んだ。脳梗塞だったらしい。
だから、父に対する思い出はほとんどない。母が残した動画だけが、父親の存在を感じさせるだけ。
それでも、映画好きの父の影響か小学校の頃から映画を観ていた。アニメ映画が多かったけれど、時代劇の再放送を見るようになって時代物も多くなっていった。
中学校時代には卓球を始める。映画関係の部活がなかった上に、部活加入は絶対だったので、しょうがないことだった。
最初は動画の初歩だと思い、教科書の端っこにパラパラアニメを描いていた。アニメーターを目指した時期もある。
絵の上手い友達を見て、諦めたけれど。
高校生になった頃、衝撃的な出会いがあった。
動画投稿サイトの登場だ。
素人でも簡単に映像がいじれる時代になっていた。マッドと呼ばれる映像のコラージュ作品がある。それを作っていたこともあった。思い出補正があってもチープな作りだ。
思わず苦笑いが浮かぶ。
でも、そう。
初めて作った動画は、特別だった。
その内、ヒョーロンとは別の脚本家の友達ができたり、ちょっと恋愛でゴタゴタしたり……
大学時代はわざと映画を避けてバトミントンサークルに入ったり……
その頃、東日本大震災があった。
自分も友達も知り合いも被害に遭っていないのに、三日三晩、現場のことを思って苦しくなった。
その後、就活が始まったけれど、就職氷河期まっただ中。
非正規の事務職にありつけたのは幸運な方だったと思う。
ただ、あまりにブラックで、自分の人生が磨り潰されていくような気持ちに陥った。
やめようと決意したのは、あるアニメ映画を観たためだ。
夢を仕事にし、仕事を夢の土台にして、まっすぐに生きた男を描いた物語。
自分も命を賭けるなら、人生を費やすのなら、好きなもののために費やしたいと思わされた。
だから、会社をやめ、母に頭を下げて映画の専門学校に入った……
二年過ごし、卒業して一年。
結婚式場のカメラマンと居酒屋のアルバイトで食いつなぎながら、映画を撮るために人生を捧げ続けている。
それが今。
ここまでの人生の中で、自分になにがあっただろう?
それをどう結びつけて大鳥の映画にするのだ?
意外に少ない。
自分の人生は、なんと薄っぺらいのだろう……
しかし、今から人生経験をするには時間がない。
深作が設定した締め切りがあるのだから。
悔しい。
もっといろんなことを経験しておくべきだった。
だが、今は今で勝負しなければならない。
過去は変えられない。
増やすためには現在という時間を消費しなければならない。
「企画っちゅーんは、ほんまムズイなぁ。持てるもん、ぜんぶ使ぉたら、次が出ぇへんしなぁ」
「ぜんぶ使う……」
その時、頭の中でなにかが繋がった。
「そうだ! これならどうだろう!」
いきなり間欠泉のようにアイディアが湧いてくる。
ヒョーロンに次々とアイディアを話した。
ヒョーロンもノートパソコンを取り出し、メモを取ると同時に文章化してくれた。
「で……短い概要というか、キャッチコピーなんだけど『ハッピーエンドに向かう最低最悪の恋物語』ってのはどうかな?」
「……なるほど。ええんやないか?」
「よし、よし……! これなら……」
行けるかもしれない。
今度こそは……
家に帰ってからアキトシはヒョーロンのまとめてくれた文章を何度も精読し、誤字や言い回しを手直しする。
そして、息を止めながら深作へメールで送った。
返事は早く、翌日の朝には来ていた。
――じかに会おう。
いよいよ前に進める。
そう思わずにはいられなかった。