大切なものを考えたとき、たくさんの過去がアキトシの頭の中に蘇った。
それこそ映画のワンシーンのように。
そういえば子供の頃、映画館に初めて行ったときだ。
映画館のあまりの大きさにワクワクが止まらなかったのを覚えている。なにを観たかまでは覚えていないけれど。
父の温かい手。母の笑顔。みんなの騒ぐ声。……きっと子供向けのアニメ映画だったに違いない。
それから、次に思い出すのは父の死だ。
仕事が忙しくて、あまり家にいない人だったけれど、休日は一緒にテレビ放映の映画を観ていた。父の膝の上がアキトシの特等席。
そんな父の命を奪ったのは、脳梗塞という病気だった。幼い頃はどんな病気か判らなかったが、今は頭の血管が詰まって、脳が壊死する病気だと理解している。
突然のことに最初は涙も出なかった。
寝ているだけのようだったし、悪ふざけが好きなところもあったので、きっと自分を騙しているだけなのだろうと。
そうでないと気づいたのは、葬式が終わった後に母が一人でひっそりと泣いているのを見たからだ。
父はもう、帰ってこない。
一緒に映画も観れない。
手も繋げない。
特等席もない。
実感したとき、初めて涙がこぼれた。
母はそれから女手ひとつで、アキトシを育てた。
良い再婚の話もあったと聞いたが、断ったのだそうだ。
大きくなってから理由を聞いたら「だって『七人の侍』を観たことないって言うんですもの」と答えられた。思わず笑ってしまった。
父と母をつなげたものは映画だったそうだ。
映画がなければアキトシもいなかったわけだ。
だから、アキトシが勤めていた会社を辞め、諦めていた映画監督への道を目指したいと言ったとき、母は嬉しそうに「応援するよ」と言ってくれたのだろう。
本当は心苦しかった。
今まで苦労をして自分を育ててくれた母に、早く恩返しがしたかったから。
学校へ行くお金は自分でためたとは言え、また苦労をかけるのではないかと。
母の応援は、そんなアキトシの心を救ってくれる一言だった。
だからこそ、早く商業デビューしたいとも思っていた。
ただ、考えれば考えるほど矛盾や謎が現れ、深まっていく。
『母』と『映画』のどちらが大切なのか?
母は見捨てられないが、映画を諦めるつもりもない。
だとしたら、自分の命、欲望の方が大切なのか……?
自問自答を重ね、ある程度の答えを見つけ出した。
この話から次の作品のヒントが生まれる。
そう感じたアキトシはメンバーを集めずにはいられなかった。
「ほいで、なに撮るか決まったんか?」
地下にあるサイゼリヤ。ソファーのある、いつもの角席。いつもの五人が揃っている。
今日もチェック柄の服を着たヒョーロンの一言にアキトシは苦い顔をした。
「実はまだ決まってないんだ」
正直に告白すると、スーツ姿のマダピーが眉を寄せる。
「それならなぜ呼んだ?」
「もう一回、みんなで企画を考えたいって思ったんだ」
アキトシの一言。鍛えられた筋肉を見せつけるように身を乗り出したのはスタローンだった。
「ほいじゃあ、とりあえずの指針は見つかったっちゅーことじゃな?」
アキトシは頷く。
「えー、なになに? アタシ、主演女優賞とか狙える感じのがいいなー」
相変わらず論点が少しずれているシノブ。
アキトシは苦笑しながら続ける。
「迷っているときは、一番大事なものを見つけるのがいいって聞いたんだ。自分もいろいろ考えてるんだけど、みんなの大事なものも聞かせて欲しい。それで指針が決まると思ってる」
「そやなぁ……一番大事なもの……オモロイっちゅーことかなぁ?」
簡単に言ってのけてしまうヒョーロン。
「一番、大事なもの……あまり考えたことがなかったな……それは、つまり自分の命と比べなきゃいけないものなんだろう?」
マダピーはさすがに冷静で物分かりが早い。
「あー、それやとワイ、オモロイのためには命を捨てるっちゅーことになるんか?」
ヒョーロンも自分が軽かったことに気づいたようだ。
「……んー、まぁ、それはそれで悪ぅない気もするなぁ。死に際までおもろかったら、大阪人冥利に尽きるっちゅーもんや」
が、意外に気に入ったらしい。
スタローンも太い腕を組んで考えている。
「ワシは……これっちゅー画じゃなぁ。もし理想の画が撮れたら死んでもええかも知れん」
「へー、みんなすごいねー」
シノブは自分の『大切なもの』を考えてもいないみたいだ。けれど、それがシノブの味でもある。
アキトシが思うに彼女は感情が先立つ。だから役に没頭することが多い。理屈はなくていいのだ。
実際、彼女は役に徹すると人が変わったようになる。
「そういうアキトシの大事なものは判ったのか?」
マダピーは答えを聞かせてくれないまま質問してきた。鋭い視線だ。
「いろいろ考えた。一番かどうかは判んないけどさ……」
少しだけ言うのが恥ずかしい。
「……オレにとって大事なのって、たぶん『つながり』だと思う」
「……仲間ということか?」
マダピーがさらに突っ込んでくる。
「それも含めてだけどね。人と人をつなげてるもの。それが大事なんじゃないかなって思えたんだ」
「命をかけられると?」
「『つながり』そのものに命をかけられるわけじゃないと思うんだけど……例えばオレはさ、映画も大事だけど母親もけっこう大事なんだ。一人で苦労して育ててくれたから。でも、映画を諦めるつもりもない」
「それは、どうしたいんや?」
ヒョーロンがわざわざ聞いてくれた。
「今、許されてる最大限のことをしたいと思ってる」
「許されてる最大限?」
「きっと母親が寝たきりとかになったら、介護はするよ。でも、今はそうじゃない。だから母親が応援してくれてる間は映画を撮ろうと思う」
スタローンが大きくうなずいた。
「なるほど。今、夢を追うことが許されてるってことじゃな」
一方でマダピーは鋭い視線のままだ。
「それと『つながり』との関係は?」
「……もし、オレが才能がないって諦めたら、いろいろ裏切る気がするんだ。自分の気持ちも、母親の応援も、オレを認めてくれた人も……ひょっとしたら、オレを待ってくれてる人もいるかも知れない」
シノブが口元に指を当てた。
「ひっこみがつかないってことー?」
「うーん、そういうわけではないんだけど……こう、自分が映画を撮ろうとすることで、つながってるものがあるんだよ。みんなもそうだし……」
「つまり、自分の欲で映画を撮ろうとしてるわけじゃないってことか?」
マダピーのいつも通りの声。そのはずなのに少しだけ冷たい感じがした。
「お前の言ってることは逃げに聞こえるぞ」
夢を追うことを誰かに強いられた形にする。
そうすれば、諦めるときは他人のせいにできる。
だからマダピーは『逃げ』と言ったのだろう。
判っている。
「いや、自分の欲もあるよ。それは間違いない。オレ、映画が好きだから」
「じゃあ、なぜ『つながり』が大切なんだ?」
「もし、オレから映画がなくなったら、たぶん、それはオレなんだけど、オレじゃない。映画があってこそオレで、映画がオレを作ってくれてる。でも、映画そのものだけじゃなくて……ちょっと言い方が難しくなるんだけど……そうやって映画を通じてオレを作ってくれてる『つながり』が大切なんだと思う」
父との思い出も、映画がつないでくれている。母との信頼も、友達も。
「あっ、ハンバーグのつなぎってことだね」
シノブがのんびり言った。
「感覚的には、そうかも」
アキトシが気になるのはマダピーの反応だ。
彼はうつむいて深く考えているようだった。
「……なんとなく判ってきた……が、それで企画はできるのか? 撮りたいものは見つかったのか?」
「うぐっ……」
マダピーが大きくため息をついた。
だが、今までのアキトシとは違う。
「ごめん、最初に言った通り、ぜんぜん見つかってない。けど、絶対に見つかると思う」
変な自信がある。
「オレは、映画を撮ること、許されてるから」
口にはしないが、ここにいるメンバーもいるから。
ここにいるみんなはスペシャリストなのだ。
面白さを重要視する作家。
冷静な分析をするプロデューサー。
見栄えのする画に命をかけられるカメラマン。
雰囲気まで変えてしまう変幻自在の女優。
そして、映画を撮りたくてたまらない自分は、彼らを最大限まで引き出してひとつにまとめる。
そうやって撮った映画を認めてくれた人がいるのだから、間違っていないはずだ。
卒業制作の一作。
それを高く評価してくれた先生がいた。
専門学校の講師で、ちょび髭がチャームポイントの伊丹だ。
褒める箇所を見つけるのが上手い人だった。
だから、自分も流れで褒められているのだと思っていたが、稟冶――プロに勧めてくれるなら話が違う。
本当に認めてくれていたのだ。
「だからこそ、見つけるためにはみんなの意見が欲しいんだ。もうちょい聞かせてもらえるかな?」
見つけ出した大切なもの――『つながり』はフィルムのように、様々なモノをつなげて、ひとつの物語にする。
みんなをつなげれば、それはきっと、すごい物語になる。