塚口サンサン劇場は、フィルム上映の歴史と共に歩んできた映画館である、というのは前項までに述べた。
こうしたフィルム上映の歴史、ひいては塚口サンサン劇場の歴史に着目した作家がいる。
増山実さんという。
もともとは放送作家として長年活躍していた増山さんだったが、2013年に阪急ブレーブスと西宮を描いた小説『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』で小説家としてデビュー。それ以降、関西のいろんな場所を舞台に、様々なテーマを描く小説を発表してきた。
増山さんの作風の一つとして、ある場所・ある文化(映画や音楽、落語など)を起点に取り上げつつも、フィクションを活用しながら、別の世界や別の社会との接点を持たせて語る、という点がある。
「時代に埋もれた人々の声を拾い上げたい」と、スポットが当たらない歴史に目を向けて執筆活動を続けている。
その増山さんが手掛けたのが、『波の上のキネマ』という小説。
2018年8月に発売された。
ここに、塚口サンサン劇場が大きく登場する。
尼崎の、映画館の歴史について調査をしていた増山さん。
ある時、塚口サンサン劇場のことを知り、取材に訪れた。
増山さんと戸村さんは初対面だったが、戸村さんの話した尼崎の映画館史の話があまりに面白かったそうで、執筆意欲がふんだんに刺激された。
前項で述べた『君の名は』を観た老夫婦のエピソードもそうだ。
他にも、その時にサンサン劇場で観た『ベイビー・ドライバー』に触発され、「フィルムの運び屋」というアイディアを思いつき、作中に登場させたりした。
『波の上のキネマ』は、尼崎の架空の映画館「波の上キネマ」が閉館の危機に陥るところから物語は始まる。
むかしの尼崎は、多数の映画館があった場所。だが今残っているのは少ない。
そんな中、「波の上キネマ」支配人である主人公の安室俊介は、自身の祖父が作った同館の歴史を調べるうちに、西表島のジャングルの中に映画館があった事実に行きつく。その祖父がたどった激動の人生が明かされ、俊介はある決断を下す……という物語だ。
その最初のほう、閉館の危機に悩んでいる俊介のもとを訪れるのが、
「塚口ルナ劇場の戸田」
という人物。
言うまでもなく、戸村さんがモデルである。
10ページほどにわたって、戸村さん……ではなく戸田が、自身の映画との関わりや、塚口ルナ劇場に至るまでの歴史などを語っている。
それを読んだ時、戸村さんはびっくりした。
「自分のことじゃないか」
取材で話した内容を増山さんが気に入って、たくさん採用してくれた喜びと、自身の分身が小説内に現れている気恥ずかしさが同居したのだろうか。
それに、サンサン劇場の今に至るまでの道程もしっかり描かれていることもうれしかった。
――新聞などのメディアに取材をされるのは慣れてきていても、小説に取り上げられるなんて。
その喜びをより多くのお客さんと分かち合いたいと、戸村さんらはある特集を企画するが、それは次の項に譲る。
出版記念トークイベントに登壇した増山さん(右)と戸村さん
『波の上のキネマ』は、増山さんが映画好きということもあり、随所に映画についてのエピソードがふんだんに盛り込まれている。西表島の映画館の話や、尼崎と映画の関わり、映画や女優について登場人物が思い入れたっぷりに語る様子など、映画ファンにとっても読みどころ抜群だ。
一方で、当時の時代や戦争を背景にした、人々の知られざる苦難にスポットライトを当てる、濃密なストーリーでもある。
膨大な事実を下敷きにしつつ、フィクションが物語を魅力的にけん引し、読者に興奮と感動を与えてくれる。
この小説は、塚口サンサン劇場が60年以上の長い歴史を誇り、フィルムとデジタルの両輪で多彩な映画を上映しているからこそ生まれたと言っても過言ではない。
フィルムの歴史を知りながら、今の映画館としても活躍しているサンサン劇場がいたからこそ、増山さんは時代を横断する物語の取材が進み、物語がより豊かになったのだろう。
本の帯には、「絶望を照らす、ひとすじの光」という文字がある。
作中では、西表島の映画館での映画が、いろんな人たちの希望となった。
そして何より、塚口サンサン劇場にとっても、映画は希望だった。
2011年以降、必死で取り組んできた様々な取り組みが、いろんな形で実を結んできていた。