2013年6月1日に行われたマサラは、戸村さんの「お客さん来てくれるのかな……」という心配をよそに、約150名が来場、満席での開催となった。
有志が作った振り付けガイドをもとに、上映前にはダンスの指導・練習タイムも設けられた。
そして上映が始まると、紙吹雪・クラッカーが舞い、ダンス・ミュージカルシーンでは総立ちになるほど盛り上がった。
終了後は、散らばった紙吹雪やクラッカーを残れる人全員で後片付けだ。
この日を境に、塚口サンサン劇場では定期的にインド映画でマサラ上映を行うこととなった。
おなじく2013年12月には、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』と、日本で最初に人気となったインド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』の2作品でマサラを企画する。
そして年が改まった2014年もマサラをし続けた。2014年11月には、2日間で合計4回マサラをする「耐久マサラ上映」なんて突拍子もない企画も生まれた。
マサラ上映は、コロナ禍で中断するまで、定期的に続けられてきた。
なぜサンサン劇場はこれほどまでに、マサラ上映を続けてこれたのか。
その理由は大きく分けて2つある、と戸村さんは話す。
一つは、劇場の天井の高さだ。
塚口サンサン劇場は、歴史が長い映画館のため、昔ならではの「ゆったりした設計」が残っている。
現在のシネコンでは、限られた面積・空間に、スクリーンと座席を効率よく配置することを求められるため、ゆとりが少ない場合が多い。その点塚口サンサン劇場は、4つのうち3つのスクリーンが、天井にゆとりがある。
天井が高いということは、後ろから映写される光の道も高いところを通過するということだ。つまり、立ち上がってもスクリーンにはぜったい影が重ならない。上にクラッカーを撃ったり紙吹雪を巻いたりしても、天井に引っかかったりしない。
(実際に他の映画館では、立ち上がるとスクリーンに影ができたり、上に向けて撃ったクラッカーが天井に引っかかって影を作ったり、ということが見受けられた)
この「古くゆとりのある設計」が、マサラ上映にとってプラスに働いた。
もう一つは、「お客さんの行儀の良さ」だ。
「うちのマサラに来てくれたお客さんは、みんなちゃんと、最後の後片付けを手伝おうとしてくれるんです」と戸村さん。
「もちろん、終電の都合などで手伝えない人は全然構わないんです。残れる人が、残れる時間を使って、みんなで片付けてくれるんです。それがうれしいんですよ」
実際、そのマサラで使用したスクリーンは、早ければその直後、遅くても次の日には通常の映画上映に使用することとなる。その片づけを、劇場スタッフだけで短時間の間にやるのは、さすがに無理だ。
「だから、一緒に掃除してくれる人たちがいてくれる限り、うちはマサラができるんです。みんなで一緒になって遊んでくれる、そんな映画館でありつづければいいなと思ってます」
ある参加者に聞いた話だと、いまでは後片付けの時に、ユニークな楽しみ方があるという。
それは、「他の人の紙吹雪を観察する」ということ。
マサラも回数を重ねるにしたがって、参加者が紙吹雪にもどんどん個性を発揮しはじめた。
最初は単なる紙吹雪だったのが、いつしか形や素材、色の違いを出すのはもちろんのこと、写真がプリントされたりイラストが描かれたり、そういった形で創意工夫を凝らす人たちが増えてきたのだ。
後片付けをしていると、そういったものがどんどん手元に集まってくる。気に入ったものは捨てずに持って帰る。それはその日、楽しいイベントに参加した思い出の品ともなる。
「映画館を、みんなで遊ぶ場所に」
戸村さんらが考えはじめてきた、映画館としての一つの理想の形は、まずマサラ上映によって達成されつつあった。